藤本さんの講演旅行記

web版 講演旅行記-16 通算第34回
岩手県岩泉町(5回目!)

2019-05-17

岩手県岩泉町は、表題の通り、ナント5回目の訪問である。
1回目、2014年9月。2回目、2015年9月。3回目、2016年2月。そして、4回目が台風直撃で大災害が起きた直後の2016年11月であった。同一市町村で3年連続4回という記録は、現時点でおそらく地元の市町村さえも抜いている。
それから約2年半ぶりに、今年3月、5回目の訪問となった。
わからない。正直言って、岩泉人たちが何ゆえに、こんなに私を気に入ってくれているのか、理解できないのだ。

1回目、私を呼ぶきっかけを作ったのは、今は育休中のT栄養士だった。その顛末は2015年1月号に書いた。
そして、その時の懇親会で、当時の保健福祉課のOh yeah!課長たちと飲み友達みたいになった。
2回、3回と行くうちに、懇親会の会場や2次会会場として毎回お世話になる「となりのみよちゃん」というお店のマスターたちも私を覚えてくれて、温かく迎えてくれるようになった。更に、カミさんの出身地は北隣の普代村。そういった事もあって、私の側からも親近感があるのは確かだ。だから、私にとっては、とても居心地の良い町になった。
なので、呼んでもらえば、私は喜んで参上する。
でもね、以前にも書いたのだが、貴重な町の予算を使って日帰り不可能な所に住む私を、常識的に考えて何度も呼ぶか? 1度は第3セクターからの招きだが、それ以外は町の予算のはずだ。Oh yeah!課長のポケットマネーであるわけがない。そんなに呼ばれるほどの価値が私の話にあるとは、到底思えないのだ。
なのに、4回も呼ばれたから、もう終わりだろうなと、何となく思っていた。

2017年1月は盛岡を経由して秋田に2泊で伺った。その帰りにも立ち寄りたいと思ったが、盛岡から公共交通だとバスで2時間余、レンタカーで2時間弱の岩泉はやはり泊りでないと難しく、日程的に無理だった。
去年、同じ岩手県の内陸部の紫波町にお呼び頂いた。その時は日帰りだったので、紫波からは3時間程度は離れているものの、岩泉に一泊する事を計画したが、諸々の事情で実現できなかった。
私もそんな風に、何かにつけて岩泉を恋しく思っていたのだが、先に述べたようにさすがに4回も行っていればもうないだろうなって思っていたら…。
2月中旬、FAXが来た。存じ上げないお名前の健康推進室長のSさん。前任のC室長は異動、精神保健を担当していたH保健師も異動し、S室長が精神の担当にもなって、今回のご連絡となったわけだ。2月中旬の連絡だったが3月末までに何とか来られないかと。
岩泉に言われちゃ、そりゃ、何とかしないと。

3月17日(日)、新幹線に乗車。10時大宮発はやぶさ11号。11:47盛岡着。お迎えにアヤちゃん登場。
アヤちゃんは、元、岩泉の保健師。1回目の講演の時の懇親会で仲良くなった1人だ。岩泉の講演の翌日、隣の普代村でも講演したが、当時アヤちゃんは普代に住んでいて、そっちも仕事帰りに聴きに来てくれた。その後、ご主人の転職の関係で、盛岡に移住し、今は盛岡で看護師をしている。現在は去年12月に2人目を出産したため育休中で、今日はご主人がお子さんたちを見てくれるという事で、久々に1人で外出、という次第。

2016年2月の講演の前には生後半年ほどの長男君と3人で食事をしており、講演旅行記のweb版第1回の中に「Mさん」として、書いている。その時以来、3年ぶりの再会。
盛岡の駅ビル、フェザンの中の「みのるダイニング」でランチ。岩手の地場産品での料理を提供している店で、後で調べたら、全農直営で、全国各地にカフェやマルシェなどを展開している様子。
この3年の間にあった出来事をいろいろ語らいながらの食事であった。アヤちゃんのご実家は岩泉のお豆腐屋さん。2016年8月末の台風で被災し、甚大な被害を受けたが、今は再建して豆腐作りも再開しているとの話。道の駅でも売っているというので、帰りに買う事にした。
コーヒーもご一緒してから、予約していたレンタカーを借りて、アヤちゃん宅までお送りし、次男君も抱っこしてから、いよいよ1人で岩泉に向かう。

盛岡から岩泉へは、山越えをする。昔は早坂高原を通る山道しかなかったが、今は早坂トンネルがあるので多少は楽だ。それでも、途中、標高700m以上の地点を通過する。東京スカイツリーよりも高い。

だから、景色はこんな感じ。

雪深い所だと、

こんな感じだ。
盛岡市の郊外にある岩洞湖も、真っ白。

氷上に、何かあるが、アップにすると、

これ、ワカサギ釣りのテントである。

幸い、道路面には雪がなかったが、レンタカーはスタッドレスが標準仕様。それに加えて四輪駆動にしておいた。
4時半頃、町内に入る。2016年に訪問した時の台風の爪痕を訪ねてみる。

橋の左側のガードレールが痛々しい。
2年半前の同じ場所。

そして、今。

まったく同じアングルではないのでわかりにくいが、河川敷の流木は片付いている。
その後、町の中心部を回ってみたが、同様にあらかた片付いてはいた。
ホテルに入る。
「ホテル龍泉洞愛山」

1回目は第3セクターが運営する「龍泉洞温泉ホテル」に泊まったが、「愛山」の方が町役場にも近く、何かと便利で、その後はいつもこちらにお世話になっている。
フロント前には立派なジオラマ。

今は廃線となってしまったJR岩泉線の終点岩泉駅周辺の様子。ここには客車があるが、実際にはもう走っていない。でも駅は残っていて、商工会の事務所か何かとして使われている。
ちなみに、先の写真の橋が、ジオラマではこれ。

部屋に入る。窓の前には岩泉のシンボル宇霊羅(うれいら)山が見える。

町のホームページによると、ウレイラというのはアイヌ語で「霧のかかる峰」だそうだ。
有名な鍾乳洞の「龍泉洞」も、このふもとにある。
そして…。上の写真の左下の青い看板。今や勝手に常連気分になっている「となりのみよちゃん」である。
つまり、ホテルの真横。

18時から懇親会予定なので、その少し前にホテルを出て、向かう。広葉樹が多い地帯だが杉花粉も多少はあるだろうからマスクをして「みよちゃん」に近づくと、店の外にマスターがいて何かしていた。私が近づくのに気づくと、
「お久しぶりです。今回は明日の午前中が講演なんですってね。それじゃ、あまり飲めないかな。でも、飲んじゃいましょうね!」
と、2年半ぶり、マスクで目印のヒゲを隠した状態なのに、すぐに私と気づいて下さるではないか。
とても嬉しかった。
店の中には、前の担当者のH保健師、最初の訪問時にご一緒して以来の飲み仲間で今は農業関係の室長に出世したKさんが先に。S室長、久慈市出身の2年前の時に初めてご一緒した若手のS保健師、岩泉の半弟子セイコも合流して6人での宴会が始まった。
セイコは、今は中学校の養護教諭だが、以前、町の保健師だった。最初の講演の時の準備段階の窓口で、Hさんの前任だが、いろいろとやり取りをしているうちに、思う所があって心理の道に転向したい、などと、とんでもない事を言い出した。まっとうな保健師が、そんなヤクザな道に進むべきではない、可能だったら一度出てきて心理の道がどれほどバカげているのかお話ししよう―という事で、2014年の春に埼玉まで来てもらってお会いして以来の仲だ。アヤちゃんと同じく私の娘世代である。
そして、いらした時にザザムシを食べ、ウゾも飲んだので、「半弟子」である。
「半弟子」については2012年12月号で説明していている。なので、ザザムシなどの事はここでは省略するが、要するに私を面白がって近づいて来る若者達で、なおかつ見慣れない、聞き慣れない物にでも好奇心を持つ者たちを「弟子」と呼ぶが、保健師など、公務員などの身分のため、私の相談室で直接的な弟子にはなれない連中を「半弟子」とふざけて呼んでいるに過ぎない。ちなみに、地方では和歌山にも「半弟子」がいる。
セイコは最近結婚もして、本当はご主人ともお会いする予定だったが、仕事の都合でダメになってしまったので、今回はセイコだけの登場。過去の旅行記にも何度も登場していて2015年の時にはわんこそばを一緒に食べた話を書いている。日帰り上京して来て、一緒に浅草までドジョウを食べに行った事もある。

どうでも良い話をして心地良い時が流れる。ママさんが途中、
「先生はあまり揚げ物など多く召し上がらないから、こんなのどうですか?」
と、シャレたオードブル風の料理を出して下さる。驚いた。私の好みの傾向まで把握して下さっている。今、地元にこんな店はない。
更に驚いた事があった。忘れ物という話題が出た時に、そう言えば2年半前に来た時にかなり小さく折りたためる傘を忘れて言った事を思い出し、あるわけないよなって思いながらマスターにその話をした。そしたら、あった。キレイに折りたたまれて保管されていたのだ。
う~ん、岩泉に住んでいたら、少なくとも週に2回は寄ってしまうかも知れない。地元じゃない事が、つくづく残念だ。
更に更に、帰る時に、ナント、ママさんからお土産まで頂いてしまった。

「黒森南蛮」。書いてある通り唐辛子の麹漬け。辛いのは当たり前だが実に良い風味がある。

そのままご飯や豆腐に載せてもウマいが、いろいろな料理の隠し味にも使える優れもの。今回初めて存在を知ったが、岩泉人の歯科衛生士Mさんに話したら、Mさんも知らなかった。
もう十分に満足して、岩泉の夜は更けた。

翌日、朝風呂を浴びて、講演に向かう。前夜ですっかり満足したので、もう帰っても良いような気分だが、実は「となりのみよちゃん」に来たのではなく、講演をしに来ていたのだ。なので、会場の保健センターに向かう。

保健師たちが保健センターで仕事をしている事がこちらでは多いが、埼玉でも地域によっては普段は役場で仕事をしていて、健診などの事業の時だけ会場として使う建物、という所がある。ここも、そう。昨日会えなかった飲み仲間のM歯科衛生士ともここで会う。息子さんの受験の関係で来られなかったそうだ。
テーマは「自分や大切な人・身近な人の心に寄り添う~こころの病気の理解など~」。
ある地区で急にお葬式があり、参加予定者が減ったという話だったが、逆に事前に申し込んでいなかった方もいらして、予定よりも少し増えたらしい。後日アンケートをお送り頂いたが、優しい岩泉人たちの評価は、3/4が「とても良かった」、1/4が「良かった」と、良かった率100%である。私は自分の講演を聴いた事がないが、そんなに良いわけがない。「みよちゃん」のご夫婦も、町民の皆さんも、きっと優し過ぎるのだ。
途中、休憩時間中に、会える予定がなかった隣の普代村社協に勤める義弟が、突然訪ねて来てくれた。部下たちが「三陸北道路」という高速が開通した事だし、行って来れば、と言ってくれたとの事。普代人も優しい。
講演後はこれまた飲み友達のOh yeah!課長も役場から会いに来てくれた。昨日は母校の閉校式で、別の所で昼間から飲んでいたようだ。
Kさんもわざわざ見送りに来てくれて、昼前、会場を出る。

そのまま帰るかというと、そうではない。S室長が別の車で、2台で「道の駅いわいずみ」に向かう。
最初の訪問の時に、ここでラーメンを食べたが、台風直撃後は大変な事になっていたので、復活した姿を見たかった。

キレイになった。被災後に来た時はごく一部を除いて営業停止。立ち入り禁止状態だった。

それが、見事に復活した。

昼食をご馳走になり、室長とお別れしてから、ここの周辺も見て回る。

裏側はまだこんな風に工事が続いている。
すぐ横の楽天イーグルスの野球場も、2年半前は、

こんなだったが、今は復活していた。

地元に少しでも貢献したい気持ちで、土産を沢山買い込み、次に、帰路とは逆の海辺に向かう。こっちは津波被害の地域だ。
途中に、来てくれた義弟が使った「三陸北道路」があった。

少し先に三陸鉄道リアス線の駅もあるが、何せ本数が少ない。そのため自動車がメインの交通手段という人が多いので、この道路の存在は、かなり大きいだろう。
更に2キロほど進む。小本(おもと)港だ。

沢山のテトラポットがあり、まだまだ修復が続いている様子だった。
震災、そして台風直撃。多くの被害が出た災害が続いた岩泉。
私には、こうして風景を眺める事しかできないが、眺めるだけでもして、岩泉の人々の思いに少しでも寄り添いたいと思いながら、潮騒の音を聴く。
おっと、帰らなくちゃ。
ここから盛岡は約100キロの道のり。先程の「道の駅いわいずみ」を過ぎ、町の中心部に別れを告げ、「道の駅三田貝(みたかい)分校」に立ち寄る。

その名の通り、元は分校だった所を道の駅にしている。海から盛岡までのほぼ中間地点かな。
ここで、アヤちゃんのご実家の手作り豆腐を予定通り購入。

帰ってから頂いたが、非常にしっかりした立派な美味しい豆腐であった。
が、誤算がひとつ。思ったよりもずしりと重くて、先に買い込んだ土産物などだけでもかなりの荷物だったのが、更に大変な事になってしまった…。とか言いながら、実は豆腐以外にも気に入っている穀物ブレンド茶「龍泉洞のじっ茶ばっ茶」―名前も愉快―とビールも買ってしまったので、豆腐だけのせいではない。

さすがに、もう呼んで頂く事もないんじゃないだろうか、と、前回に引き続き、思う。
でも、呼ばれなくても何とか機会を作って訪ねたいと心底思う。行きつけの店もあるしね。
それに、かなり県南だが、この7月には、またもや岩手県の奥州市に呼ばれているし、何かと岩手には縁がありそうだ。その時に岩泉まで足を延ばせるかはまだわからないが、ともかく、岩泉人にすっかり感化されてしまっている以上、これが最後というわけにはいくまい。
岩泉の皆さん、ありがとう! またね!!

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