保健師のビタミン

風雪人生

第6話玉響(たまゆら)

梅雨前線が通過した後、美しい新緑に果敢(はか)なくも宝石のように宿る露の様を「玉響」といいます。

葉に宿る露の玉も、やがて風に飛ばされ、消えてなくなってしまう。人の一生も大きな自然界から見ると、この玉響のごとく空しく無常であり、短く果敢ないもののように思います。

人の一生が宝石のように、輝きを持ちながら希望という光に向かって努力したり、短くも果敢ない生き物に対して慈しみの心を持ったりすることができる期間はどれくらいの長さなのでしょう。

もちろん、それは人によって違うでしょうし、育った環境によっても変わるでしょうが、生まれた時からの悪人はいないはずです。生きる為に、精一杯五感を働かせながら、成長してきた人間が、そのプロセスの中で、いつの間にか光をなくし、希望を捨てて、輝きを失ってしまうのはなぜでしょうか?

果敢ない人生ならば精一杯生きて、後悔のない人生を全うしたいと思うはずです。それが今の時代は、何かが狂っているのでしょう。「生」への執着がないというか、輝きながら毎日を過ごす事がない人が増えています。

私は、毎回このコラムを執筆する際に「次こそは希望に満ちあふれた文章を書こう!!」と思うのですが、現実の毎日の中で、その原動力となるような出来事に出会わないので、風雪ばかりになってしまい、春光というような明るいタイトルがつけられない状態でいます。

先日、私のゼミの学生に口頭で幾つかの質問をし、挙手で答えるという「心の扉ノックタイム」と題した時間を作り、いくつかの質問をしたところ、19歳の現実を知ってしまい、焦りとやるせなさと、何とかしなければという気持ちで一杯になりました。

「今までの人生の中で死のうと考えた事がある人」という問いには、8割強の学生が手を挙げていました。「実際に行動にうつした事がある人」という問いには、その中の3割くらいが手を挙げました。「最近親を見ていて、申し訳なく思う人」という問いには、なんと全員が手を挙げていました。ここでなんとか気持ちが救われましたが、「結婚や出産には全く夢をもてない」という人は、半数を超えていました。とても正直に答えてくれ、質問を終えて、私は学生に頭を下げて、礼を言いました。嘘を言っている瞳ではなかったからです。

まだ微妙な年齢なので、そういう質問を嫌う学生もきっといると思うし、まして記入式ではないので、挙手にも勇気がいったはずです。でも、私は自分の講義で、「教科書や書店には売っていない私にしかできない授業をする」と最初に学生に約束していたので、きっと私の想いに対する学生側からの礼節だと受け取りました。

毎回、私の授業では、何人かの学生が涙します。あえて理由は聞きませんが、「辛い」ことも一つだけがんばれば、「幸せ」という文字に変わると板書した時は、全員がノートではなく、自分達のスケジュール帳に、その言葉を書いていました。素直な感性で、素晴らしい学生達です。

その質問をした講義が終わったら、一人の学生が職員室から出てくる私を待っていました。私も、この春から一番気になっていた学生でした。なぜなら、左の手首から内側の腕にリストカットと自傷で何本も傷があるのを見つけていたからです。

帰り道で、私の方から、思いきって聞いてみました。「その傷のことを口にしてもいいかなあ?」って。するとその学生は、「花華先生ならいいよ」と答えてくれたので、「いつごろからそのような行為をするようになったのか」と聞くと、中一の終わり頃で理由は、「母への恨みと死にたかったから」と答えました。「死にたいのなら、なぜ一発で確実に死ぬ方法をとらなかったの?」と、これは又、残酷な質問でしたが、彼女の答えに、私は歩いていた足が止まりました。

その答えは、「死にたいと泣いて、生きたいんだよ!!と叫んでいた」と言ったのです。

死にたいけど生きていたいというのが本心なのでしょうが、悲しい出来事や、心ない人の言葉で、刃を持ってしまうのでしょう。カウンセリングを受けたら、「『自分に強くならなきゃ』と言われるけど、その言葉に余計に傷つく」と言っていました。愛に飢えているんです。

「心の傷は、人から見ても分からないので、見えるようにそうしているの?」と聞いたら、「それは分からない」と言っていました。「いつか自分の子どもと手を繋いで歩く日が来た時のことを想像して、今より傷の本数を増やさないで欲しい」と私が言うと、「そうやなあ」と笑顔で答えていましたが、「もう絶対にしない」とは言いませんでした。できない約束を私にはしなかったのだと思います。でも、傷が増えないように、小さな滴のような私でも支えになってくれればいいなあと心から願っています。

最近、世界遺産にも登録された熊野古道の牛馬童子の首が、切られて割れてしまったという悲しいニュースを知りました。何百年もの昔から、信仰のため、願いのため幾多の人が往来した山道で、どうして、こんな無抵抗な物に、残忍な事ができるのか、いくら考えても分かりません。そんな事をして心がスッキリするのでしょうか? バチがあたると思わないのでしょうか? 霊場ですから、必ず報いがあると思います。

自分の体も親から頂いた遺産です。傷をつけることは、もうやめて、自分を大切にする事を考えて欲しいと思います。果敢ない命ならば、人生ならば、玉響のように一瞬でも輝き、何かを響かせて人生の幕を閉じることができれば産まれてきた値打ちがあります。

学生の腕の傷は生涯消えなくとも、心の痛みを少しは和らげる事ができる私でいたい。学生の葉の上に乗る玉響でありたいと願っています。

~今日の花華綴り~
「私を見ていると力が沸いてくる。そんな人に自分はなりたい」

著者
柴田花華
チャイルドケアコンサルタント。
モンテッソーリ幼児教育指導者、医療心理科講師を経て民生委員、児童委員民連会、教育委員会、青少年育成委員会等で講演家や大阪医療技術学園専門学校ー児童福祉学科講師として活躍中。
障害児の母親を心理的に支える「赤い口紅運動」を主宰。新聞・ラジオなどのメディアで多数取り上げられる。日本禁煙医師歯科医師連盟会員。2003年5月5日の子どもの日にオフィスあんふぁんすを設立。同時に「赤い口紅運動」開始。

保健師のビタミン 著者別一覧へ

ページトップへ