保健師のビタミン

風雪人生

第4話木霊(こだま)

子どものころ、遠足で山に登ったとき「ヤッホー!!」と叫ぶと、山から「ヤッホー!!」と返事があったときの感動を今でも覚えています。

「こだま」とは樹木に宿る精霊であり、声音が山に当たって反響して返ってくる山びこのことです。山からの反響音を「こだま」と言うのは、山の霊が応えると考えられていたからだそうです。

人生も常に木霊と同じで、自分のまいた種は良い行いなら良い実りを、悪しき行いなら報いとして返ってきます。因果応報とも呼ばれていますが、自分の言動は必ず自分に返ってくるという意味では、毎日「ヤッホー」と叫んでいることと同じです。

現代の日本を改めて考えていると、ここでも大きな帳尻が合わない人々の多さに気付きます。戦争という苦しい大きな体験を生き抜き、国を守ってきた年代の後期高齢者の方に、国の施策が理解できぬまま保険料の負担をさせ、あとわずかな人生しか残っていない高齢者の方が、貧しく苦しい生活を強いられています。

外国の豪華客船が神戸港に停泊すると、シルバー色の髪の毛に、真っ赤なセーターを肩から、さらっと羽織ったおしゃれな老夫婦が仲良く手をつないで観光をしている姿を見かけます。このような風景を見ると、日本にこんな老後を過ごしている方はいるのだろうかと思います。

私と親交の深い、ある救命士の方からうかがった話です。古い木造アパートの隣人から「異臭がする」と管理人を通して警察と救急に連絡があり、救命士の方が問題の部屋に入ると、すでに夫の方は死後数日が経過していました。その傍らには、虫の息の奥さんがすでに腐敗の始まった夫の屍に寄りかかり、声を出す力もなくなっていました。

奥さんは病院に搬送されましたが、2日後に亡くなったそうです。死因は飢餓による衰弱で、部屋の中には某牛丼屋のプラスチックの空の丼がいくつも残されていて、電気も止められていたそうです。ちょうどそのころ、すごく安い値段で買える牛丼のキャンペーン中でした。きっと一つを2人で分けあって、最後にはそれさえも買えなかったのかもしれません。年を重ねてから、お肉ばかりの毎日は、さぞやつらかっただろうと想像されます。

私の友人の救命士は、自分たちが暮らしている街のすぐ近くで、こんな悲惨な現場を目にしたとき、「この老夫婦がいったい、どんな悪いことをしたというのか? 都会の片隅で人生の終末を、電気もつかない暗い部屋で、安い持ち帰りの牛丼を2人で分けて食べ、最期は死に水をとってくれる人もなく、静かに息をひきとり、においで名前も知らない他人に気付かれるという最期は、あまりにもむごい」と思ったそうです。唯一の救いは、仲が良かったか悪かったかは別にして、人生のギリギリ最後まで、夫婦で過ごせたことかもしれません。

社会には民生委員児童委員という方が地域におられますが、そのシステムとか仕組みなどを知らない人が多いため、虐待も減らないのかもしれません。

世界一周の船旅ができるような老後を送れる方々は、一握りかもしれません。しかし政治家がチャーター機で外国を訪問するとき、きれいなスーツを身にまとった奥さんを同伴されていますが、あのお金は、どこから出ているのでしょうか? たまたま、普通の人と結婚して、何かがきっかけで貧しくなり、人知れず死んでいく人と、何が違うのでしょうか。疑問だらけです。

人の命の重さは、皆同じはず。それが日本においても、富裕層と貧困層の二極性が確実に表面化してきています。

今日、夕飯の買い物をして、スーパーの前に出てくると、制服を着た女子高校生たちが道端にあぐらをかいて座り、パンをちぎって、「まずいわー。人間が食うもんちゃうわ」と言って、その辺りに捨てている光景を見ました。「誰がそのパンをそうじすると思ってんの!!」と思わず言うと、「あんた誰やねん」と、私に食ってかかってきました。

私は以前、ホームでたばこを吸っている若い女の子に注意したことを息子に話したとき「母さん、ほんまに誰かれなしに注意しよったら、まじで、そのうち刺されるから、ほっとかなあかん」と言われたことを思い出し、その女子高生たちに「あんたら、ろくな人生送られへんで」と捨て台詞を残して、その場を去りました。

でも腹がたって腹がたって、足が震えて自転車がうまくこげず、何度引き返して、再度注意しようと思ったか分かりません。注意して殺されたら、無駄死になるのでしょうか? 他人のことは、見て見ぬふりをする人ばかりになったら、日本は間違いなく沈没します。

以前、城崎に行く途中の山中に、小さな木舎の無人販売所で野菜が売られていました。そこには「年寄りが細々と作った野菜です。百円をごまかさないようにお願いします。誰も見ていないからと、そのまま持って帰っても、天が見ています」と張り紙がしてありました。きっと何度も、ただで持っていかれた経験の末、張り紙にしたのでしょう。

「取ったら取られる。泣かしたら泣かされる。天を向いて、ツバを吐いたら自分に返る」と小学校のとき、紙芝居のオッチャンが言っていました。

人生は「木霊」です。「悪いことしたら全部自分に返る。いい気味や」と思うような人間にはなりたくないですが、きっとこれからも私は、身のこなしの汚い若者に注意をする生き方を変えることはできないでしょう。日本が沈没するとき、後悔ある生き方はしたくありませんから。

~今日の花華綴り~
「勧善懲悪の行いを山の生霊が必ず見ていてくれる。躾(しつけ)とは身のこなしが美しいことをいう」

著者
柴田花華
チャイルドケアコンサルタント。
モンテッソーリ幼児教育指導者、医療心理科講師を経て民生委員、児童委員民連会、教育委員会、青少年育成委員会等で講演家や大阪医療技術学園専門学校ー児童福祉学科講師として活躍中。
障害児の母親を心理的に支える「赤い口紅運動」を主宰。新聞・ラジオなどのメディアで多数取り上げられる。日本禁煙医師歯科医師連盟会員。2003年5月5日の子どもの日にオフィスあんふぁんすを設立。同時に「赤い口紅運動」開始。

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