保健師のビタミン

風雪人生

第2話陰日向

人は、一定の年齢に達したときから「仕事」をしなければなりません。世の中には、仕事と一言で言っても、赤ちゃんは泣くのが仕事ですし、学生は勉学が仕事です。給料は出ませんが朝からお弁当を作る主婦の働きも仕事です。しかし一般的には、仕事というと働いてお給料をいただくことを言い、職業も種類を数えたらきりがないくらいあります。

高校あるいは大学など、学生を修了したら次のステップに就職があり、ちょうど5月のこの時期には、真新しいスーツに身を包んだフレッシュマンが同じ封筒を抱えている姿を電車内で見かけます。

そんな若い人たちを見ていると、ふと「この人たちは自分のなりたい職業に就いているのかな。一生今の仕事が続くのかな」と自分の今までの仕事人生を振り返り、照らし合わせて考えてしまいます。

先日も私の講義中に、将来自分がなりたい職業を発表してもらいました。学校が福祉関係なので、PSWや言語聴覚士や病棟クラークなどが多い中で、プロのボクサーと答えた学生がいました。

福祉の仕事は、誰かのためになる仕事という意味では、意義のあるやりがいのある仕事ですが、毎年、実習期間が終わると「自分には合っていなかった」と言って何人かの学生が失意の中、学校を辞めてしまいます。

そんなとき私は、一カ所だけの経験で全体を決めてしまわないように、となるべく退学だけは思いとどまらせようとするのですが、若い感性で一度「アカン」と思ってしまうと、すぐに辞めるということに直結するのが残念です。

実際、福祉の仕事に従事している卒業生の話を聞くと「汚い、きつい、給料が安いの3拍子だ」と言います。でも「どうして辞めないのか」と聞くと、「親に悪いから」とか「どうせ他の仕事も何かしら嫌なことがある」とか、淡々とした答えとは違って「お世話をしているおばあちゃんが自分にだけ笑ってくれるから」「いつか自分も年寄りになるのだから」などがあり、私が一番感動したのは「この方々のお陰で今の日本があるから」という答えがありました。

世の中には、何万という職業の種類がありますが、「人生帳尻説」で考えてみたとき、本当に職業には、差別とか隔たりとかはないのでしょうか? 私は、仕事は平等で違いなどない、というのはきれい事で、世間はやはりどこかで人を職種や肩書きで判断していると思えてなりません。

お見合いや結婚紹介所の男性側の職業には「医師、弁護士、公務員多数」などと必ず書いてあります。やはり女性サイドからの希望が多いからでしょう。年収や学歴や家柄がこれに伴うという理由なのでしょうが、人柄とか外見とか人生観には興味はないのかと不思議に思います。

職業差別と言えば、今から思い出してもはらわたが煮えくりかえるくらいに腹の立つ話を、何年か前の学生から聞きました。

それは、私の持論の一つである「言葉は言霊だから相手の立場になって話すこと」という内容の講義をしているときでした。ある男子学生が突然手をあげて「花華先生、俺いまだにどうしても忘れられない中学のときの先生の言葉があるんやけど聞いてもらえませんか!!」と言うので、私が「差し支えないなら、聞かせて」と言うと、その男子学生は「みんなにも聞いてほしい」と前置きをしてから話し始めました。

当時その学生の中学の担任が、卒業間近にクラスの教え子たちに対して「これから、お前らはそれぞれの道をいく。高校、大学そして就職と別々の選択肢があるが、きちんと勉強をしていると、ワシのように万年筆一本で飯が食える。しかし、きちんと勉強せんと遊んでいる奴は、旗ふりくらいしかなれないぞ」と言ったそうです。

当時、その学生のお父さんの会社はバブルがはじけて倒産し、お父さんは体を壊しながらも家族のために、ガードマンのアルバイトをして、朝から晩までトラックの土煙を浴びながら、赤と白の旗をふって、道ゆく人々の誘導をして家族を懸命に養っていました。

「父親の職業を、さも世の中で最低の仕事のように『旗ふりにしかなれんぞ』と言った担任の言葉を今でもよう忘れない。そんなことを言うお前こそ教師として最低やと俺は思っている」という話でした。

私も、同じように先生と呼ばれる職に従事する一人として、そんな学歴偏重社会の最大の失点汚点のような人間が教壇に立っていることに怒りを覚え、男泣きに悔し泣きをしながら勇気を持って、まさに教科書では教えることのできない大切な話をしてくれたことに感謝しました。

話を聞いたクラスメイトも「なんやそいつ最低やな!!」「お父さんは立派や!!」と口々に憤慨していました。その学生は、今は高齢者施設で懸命に介護士として働いています。

立派な名前の通った会社でも倒産する時代ですし、先生や政治家でもワイセツ行為で捕まったり、医者でもワイロをもらったりする人もいます。

どんな職に就いても結局は、その人の生き方や人格こそが大切で、会社という組織に属している自覚や、自分にあこがれて後輩が後に続くような仕事ぶりをすること、そして、自分の仕事が世の中に少しでも貢献できれば、毎日の仕事にも生きがいが見出せるのではないでしょうか。

タイムカードの入出のときだけが働いているということではなく、どこかで常に凛とした心を持っていることが仕事人としての心意気だと思います。万年筆でも旗でも、持つ物は違っても自分の業をきちんとこなす人の姿こそ美しいと私は思います。社会の歪みは、教師の心ない言葉も源となることに、襟を正す私です。

~今日の花華綴り~
「自分が誠意一杯(誠意をいっぱい込めて)働いていればその姿を誰かが必ず見ている」

著者
柴田花華
チャイルドケアコンサルタント。
モンテッソーリ幼児教育指導者、医療心理科講師を経て民生委員、児童委員民連会、教育委員会、青少年育成委員会等で講演家や大阪医療技術学園専門学校ー児童福祉学科講師として活躍中。
障害児の母親を心理的に支える「赤い口紅運動」を主宰。新聞・ラジオなどのメディアで多数取り上げられる。日本禁煙医師歯科医師連盟会員。2003年5月5日の子どもの日にオフィスあんふぁんすを設立。同時に「赤い口紅運動」開始。

保健師のビタミン 著者別一覧へ

ページトップへ