保健師のビタミン

風雪人生

第1話運がいいとか悪いとか

いきなり私の好みの話題で始まり恐縮ですが、私は大の演歌好きです。演歌のタイトルには、よく「人生」という言葉が出てきます。そして不思議なことに祝歌のように幸せな人生を歌う曲は数が少なく、たいがいは、なぜか不幸な女を描き、「あなたを殺して私も死ぬわ」調の、命懸けの恋愛歌や許されぬ恋、いわゆる不倫テーマの曲が多いように思います。

ポップスでは出会いが多いですが、演歌は「さようなら貴方」調が多いですね。私の演歌好きは、男女のドロドロを表現しているからではなくて、花鳥風月というか四季の彩りを美しく折り込んでいる歌詞がたくさんあるところからきています。

例えば「目を閉じれば日本海の荒波が、ドーンと岩にぶつかり白い波うさぎとなって繰り返される」とか「最近めっきり白髪が増えた母親の小さな背中を見ていると、自分も泣けてきた」というような歌詞が好きです。

演歌には人生があります。昔から、ギター一本で「流し」と言われている人がお客さんからリクエストされて、静かに歌うという場面があり、(今でこそ、カラオケでお客さん自身が歌う上手下手は別にして)自分の人生の思い出や、歌の主人公になって悲哀に満ちた顔をして、マイクを握ります。

私は、自分が講演家としての仕事を選んだときに、日本レコード大賞をとった某歌手の作詞をされた先生に、歌のご指導を受けていました。

その先生に「講演をしたいと思う」とご相談したとき、
「今、テレビにバンバン出ている歌手も、昔はお客さんが3人くらいしかいなかった時代もあった。舞台で歌えなくて、リンゴの木箱をひっくり返して、その上で歌った人もたくさんいる。
僕は、そういう涙ぐましい努力を、弱音もはかずにあきらめなかった歌い手をたくさん見てきた。
運良く爆発的なヒットに恵まれる人もいれば、歌もうまいし、曲にも恵まれているのに、なぜか芽が出ないで泣く泣く歌手をあきらめた人もいる。最初のデビュー曲から、いきなり有線のベストテンに入るような人は、氷山の一角もいない。
ただ、自分の弟子たち、教え子たちを見ていて言えることが、一つだけある。
それは何か分かるかな?
どんなに苦しくとも貧しくとも、あきらめることなく『人の魂に響く心の歌』を唄える心を持ち続けている人は、いつか必ずヒット曲に恵まれるんだよ」
という話をしてくださいました。

「講演もある意味、歌と同じで、話を聞いている側があなたの語りを聞いて、そのときの情景が浮かび、いつの間にか自分の人生の一部と花華さんの話とが、だぶるような心に響く話をすることができれば、あなたは講演家として成功する」
と励ましてくださいました。

前回のシリーズでも、ふつつかな私の人生の一部を例に出して文章を書きましたが、あるとき、ある食事会で大きな病院長と「人生帳尻説」について議論をしたことがあります。

院長は良くも悪くも「帳尻は合う派」のご意見でしたが、私は自分の人生を48年間振り返っても、貧乏くじを引いているというか、運がいいか悪いかと言えば、考え方や幸せのとらえ方にもよると思いますが、やはりあまり恵まれた人生ではないと思います。特に幼児期から学生の間は、それこそ「生きていくのがつらい日」が何度もありました。

今回のシリーズでは、「本当に人の一生は最後に帳尻が合うようにできているのか?」「棺おけのフタを閉めるときは、本当にプラスマイナスゼロなのか」を皆さんとともに考えていきたいと思います。

特に最近の後期高齢者の老々介護問題や、医療費の負担で苦しまれている方々の声を聞くにつれ、この日本という国は、若い人にとって支えがいのない国になっている気がしてなりません。

最近、黒人青年が日本の演歌をそれはそれは上手に歌い、ヒットを出しています。彼は小さいころから、おばあちゃんにずっと演歌を聞かされ大きくなったそうですが、今でこそ人種差別は少なくなったとはいえ、演歌を黒い人がジーンズで歌っても受け入れられるのは、きっと彼の心にも、人の魂に響く何かがあるからなのだと思います。

私のテーマをお読みくださり、改めてご自身の人生の帳尻を考えてみる機会にしていただければ幸いです。今、この文章を書いている窓の外は、演歌にお似合いの涙雨が降っています。暗い人生であっても、いつかは夜明けが来るとの願いを込めて、10回お付き合いください。よろしくお願い申しあげます。

~今日の花華綴り~
「百の言葉より一粒の涙が語る人生もある」

著者
柴田花華
チャイルドケアコンサルタント。
モンテッソーリ幼児教育指導者、医療心理科講師を経て民生委員、児童委員民連会、教育委員会、青少年育成委員会等で講演家や大阪医療技術学園専門学校ー児童福祉学科講師として活躍中。
障害児の母親を心理的に支える「赤い口紅運動」を主宰。新聞・ラジオなどのメディアで多数取り上げられる。日本禁煙医師歯科医師連盟会員。2003年5月5日の子どもの日にオフィスあんふぁんすを設立。同時に「赤い口紅運動」開始。

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