保健師のビタミン

家庭基盤と絆

第7話背負った子に教えられ

「這えば立て、立てば歩めの親心」という言葉がありますが、子どもが小学校高学年ごろになってくると、ほとんどのお母さんは「遊んでばかりいないで勉強しなさい!!」と目くじらを立てるようになり、子どもの成績に一喜一憂します。

今の日本の教育制度などをテーマに話をすると、あまりにも巨大で問題が多いため、その中から私が特に注目している「教育」という言葉の捉え方を述べたいと思います。

わざわざ大人が「ゆとり教育」とお膳立てしなくても、学校には友達がいて、行事があって、好きな先生がいて、学校は青春の舞台であるのが理想です。しかし今の教育は「お前ら、ちゃんと勉強しとかな立派な大人になれんぞ!! きちんとした仕事につけないぞ!!」と先生が生徒に平気で叱責します。

これは、勉強することのみに意味があり、友達を蹴落としてでも成績を伸ばす事を強制しているかのような強育 脅育 凶育であり、正しい学びの姿勢ではないと思います。私が考える理想的な教育とは共育 協育 響育であると思います。

私は、この連載で僭越ながら自分の体験談を交えて書かせていただいていますが、それは自分が体験したことは嘘がなく、人からのうけ売りではないので、本当の気持ちが書けるからで、今回は私の教(強 脅 凶)育の体験談をお話します。

長男は、今時珍しく中卒で働きましたが、その反動からか次男には小学4年生から私学受験専門の学習塾に通わせ、高い月謝を払い、たった10歳の子どもに夜中まで受験勉強をさせていました。いちばん遊んで、いちばんよく寝なければならない時期に、夜中の1時まで塾の宿題をしている毎日でした。

私も仕事があったので、きちんと勉強しているかどうかを確認したくて「お母さんがいなくても、ちゃんと勉強してね」と言ったとき、息子は「お母さん、自分のことやねんから親がいてもする時はするし、さぼる時はさぼる!!」と言われたことがありました。その言葉に妙に納得した私は安心して仕事をしていたのですが、実は大切なことを見失っていたのです。

「寝る子は育つ」というのは本当で、無事に有名私学に合格して、これで将来は医者か弁護士かと想像はどんどん膨らみ、親は鼻高々でした。でも、その喜びもつかの間。次男のウエストは大人の手で輪を作ったらつかめるほどの細い体になってしまい、必死に合格した中学校も2年生の途中から休みがちになり、ついに行かなくなってしまいました。

進学校で欠席すると、いわゆる勉強についていけない状態になるのがアッという間で、ますます行きづらくなります。親は何とか行かせようとしましたが、ある日、制服を着ていつもの時間に出た息子は、学校には行かずにJRの快速電車で神戸から滋賀県まで行っていました。

知らないうちに寝てしまっていたそうですが、学校から「柴田君が来ていませんが」と連絡があったときは「生きていてさえくれたらそれでいい」と思い、あちこち探し回りました。

その日から「息子が行きたくなければ無理に行かせよう」という思いは親の頭からなくなりました。

ただ、たまに同じ制服を着た子に出会うと「なぜ、うちの子は通えないんだろう」と涙が出ることも何回もありました。自分の子は不登校で家にいるのに、私は教師として、皮肉にも学校で出欠をとる立場にいるつらい時期でした。

そんなあるとき、私は思い切って自分の講義で、我が子が不登校になっていることを学生に打ち明けました。すると、自分もそうだったという学生が何人もいて「花華先生、絶対に息子さんを信じてあげて!!」と泣きながら何人もの学生が励ましてくれました。

そして帰宅してその話を息子にしたとき「母さん、学校に行ってない子をすべて『不登校』という呼び方をする大人たちがおかしいねん。俺は今、『活動休止期間』やから!、、、必ず動き出すから!」と答えました。「活動休止期間か…。不登校といえば罪のようだけど、休止していてエネルギーをたくわえているのなら、必要な時間だなあ。いい言葉だなあ」と私の心も軽くなりました。

結局、息子は「けじめだから」と卒業式には出席し、高校は一貫教育を辞め、普通に県立高校を受験し、今はたくさんの友人に恵まれて青春を歩んでいます。体もぐっと大きくなりました。

不登校の子どもの脳は、過労死の大人と同じ影があると聞いたことがあります。受験勉強や合格が、すべてその子のためであるとは言えないものなのだと身を持って経験しました。

本当の教育とは、家族の憩いの中にあり、友達との語らいの中にあり、親以上に考えてくれる周囲の大人や先生との出会いの中にあると思います。

~今日の花華綴り~
 「人生には、歩みを止めてこそ見える物がある」

著者
柴田花華
チャイルドケアコンサルタント。
モンテッソーリ幼児教育指導者、医療心理科講師を経て民生委員、児童委員民連会、教育委員会、青少年育成委員会等で講演家として活躍中。
障害児の母親を心理的に支える「赤い口紅運動」を主宰。新聞・ラジオなどのメディアで多数取り上げられる。日本禁煙医師歯科医師連盟会員。2003年5月5日の子どもの日にオフィスあんふぁんすを設立。同時に「赤い口紅運動」開始。

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