保健師のビタミン

こんにちは、開業保健師です!

第6話産業保健に ―開業のきっかけ―

親の介護のため、保健所を退職し田舎へ帰っていた私を、再び保健師の世界に呼び戻してくれたのは、「1+1を3にしてみせます」と当時の人事部長に啖呵をきってくれた、事業所で働いていた先輩保健師です。
嬉しいけどさあ大変!

その大規模事業所では、合併やら買収やらで関連する会社は海外を含めて7000人弱。健康診断時の全員面接や、労組とタイアップした事業展開、健康相談員制度の構築や育成研修、健康推進委員会等を経験しました。

大規模事業所では、健康管理スタッフも充実、社内で人間ドックができるなど設備も充実し、仲間にも恵まれ、いい仕事ができたなと実感できた時期です。

その中でも印象深い出来事は、地域保健との連携を具体的に体験出来たことです。

血圧測定にいらした社員の方が、睡眠が十分とれていないというので少し話を伺うと、お子さんの病気(骨肉腫の末期)の悩みを抱えていることがわかりました。入院を拒否(片腕切断等の処置を受けダメージを受けている)している為、在宅で何とか看取りたいとの希望でした。

少しでも心の負担を軽くしてあげられないかとの思いで、可能かどうかわからないがやれるだけやってみましょうと、在宅医療を受け入れてくれる医師を紹介してもらうため地区担当保健師に連絡し、家庭訪問をしていただきました。

また、在宅の機材の貸し出しを受けるため神経研の保健師にも連絡して協力を仰ぎました。この連携ができたのは、以前の保健所にいたとき参加した難病健診ボランティアの経験が役立ちました。

そのお子さんは、最後は病院でなくなりましたが、精一杯看護できたということで、その社員の後の精神的ダメージが少し軽減されたと感じています。

このケースでは、よりよい支援のために関係者で検討会を行ったりと、私にとっても"連携"というとても貴重な体験となりました。

保健師として活動しやすい環境、貴重な体験の数々で月日は流れ、その事業所を41歳で退職しました。すぐにパートとして都内の財団に登録。今度は中小規模事業場を巡回保健指導することになりました。

そこでは、放置された健診結果のすごさにも驚きましたが、一度も保健指導の機会がないという事業所の多いこと。。。そして大企業とのあまりの格差に愕然としました。

日本の事業所のうち90%以上が中小事業場であることを考えると、「ここにメスを入れなければ産業保健の水準は上がらないのではないか?」「微力かもしれないがこういうところを支援したい」と思うようになったのが、私の開業のきっかけです。

丁度そのころ、以前勤務していた事業所と外資との合弁から、(雇用はできないが)社員の健康管理をやってほしいと依頼がありました。当時は、週4日他(電話相談)の仕事もしており、週1日でならとお引き受けしました。

問題点や課題に関する業務提案をしながら仕事の領域を拡大、徐々に勤務日数も増えました。保健指導だけでなく安全衛生活動全般の業務を任せていただいたことでとてもやりがいもあり、大規模事業所にくらべ、社員により身近な支援活動ができ、存在感を作ることができたかなと思います。

7年ほど勤務、事業所移転と同時に退職。退職後かなり経過しましたが、春になると"秘桜会"なる花見と酒を楽しむ社員の会に今でも参加させていただいています。今年は、金沢能登方面の桜を愛でる予定です。

著者
齋藤明子
看護師として臨床およびグループ企業の診療・健康管理を経験。29歳で保健師学校に進学。卒業後地域保健に3年ほど従事。先輩保健師の誘いで企業に就職。安全衛生健康管理活動および健康増進活動を行う。その後外資との合弁企業に非常勤雇用される。
平成10年ヘルス&ライフサポートTAK設立。個人事業主として活動を開始現在に至る。保健師・産業カウンセラー・労働衛生コンサルタントとして、中小事業場の健康管理体制構築支援、相談活動、介護認定審査会委員、NPO活動等を行っている。

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