保健師のビタミン

こんにちは、開業保健師です!

第5話開業前 保健師学校卒業地域保健へ

晴れて保健師として東京の特別区保健所に就職したのは、30歳、老人保健法施行の年でした。

保健師は、各時代の保健ニーズに沿って配置され、懸命にその要請に応えていった歴史があります。

まず先輩保健師の指導のもと、地区担当と所内事業を経験しましたが、印象に残っていることは、地区活動と精神科デイケア事業です。

地区活動では、先輩に誘われ参加した組織活動研究会(横浜集会)では、地域での活動事例や実践者との交流を通じて刺激を受け、自分も担当地域で何かやって存在感のある保健師になりたいと思うようになり、また当時、どうやって地域に入っていくか迷っていた私にとってある種の"光"が見えたときでした。

それで早速、自分の地域へ戻り活動を計画したところ、最初は「実例がない」と反対を受けましたが、それならと知恵を絞り、児童館とその利用者の方からの住民要請ということで、児童館での母子講演会の共同実施、その後住民の方々の自主活動(勉強会)支援実施にこぎつけました。

児童館での活動は今も継続されていると聞いて、とても嬉しかったです。この実践では、ベクトルが同じなら一緒にやったほうがより効果的であることと、あきらめないことの大切さを学びました。

また、精神科デイケア事業では、前任者の退職に伴い、力量もないままにスタッフの一人となった私は、地域の精神科医、心理職や陶芸や料理等の地域ボランティアの方々、事務局との交流を通じ、チームワークによるコラボレーションについて学びました。

逆に利用者の方から心を和ませるサポートを受けながら、続けることができました。開設当初よりご利用者は増え、活気ある事業展開をすることができ皆さんに感謝の気持ちでいっぱいでした。

その後、親の介護のため退職することになり、3年という短い地域保健活動でしたが、学んだものは多く、それは現在の活動の大きな財産となっています。

現在の地域は人が増えず、特に地域保健法施行後は、分散配置の専門分業化に苦しんでいたり、職域も同様で、保健師の配置数が大規模事業所や健保組合に偏っています。

しかし、社会はめまぐるしく変化しています。自分たちに期待されている役割は何かを見極めながら、他職種と連携して業務を遂行するという、新しい活動形態に変わったと頭を切り替えていくの良いと思います。

《後述》
3月1日、青森県で地域活動をされた若木茂子さんの話を聞き、久しぶりに心揺すぶられる経験をしました。問題があれば、即現場へ駆けつけ、どうしたら問題解決ができるか、誰を巻き込んだら効率的かと全身全霊で活動されてきた実践活動を聞きました。 "公衆衛生"とは、"専門職とは"何ぞやと考えさせられ、体と心を鋭敏にし、現場に根ざした活動を展開、社会へ発信していく必要があるなと強く感じました。感染症との闘いであった時期の保健師活動と現在はやや様相を変えてはいますが、保健師活動は、それぞれの持ち場で、国民の生活と命を守るために何ができるか、今何をなすべきかだと思います。

著者
齋藤明子
看護師として臨床およびグループ企業の診療・健康管理を経験。29歳で保健師学校に進学。卒業後地域保健に3年ほど従事。先輩保健師の誘いで企業に就職。安全衛生健康管理活動および健康増進活動を行う。その後外資との合弁企業に非常勤雇用される。
平成10年ヘルス&ライフサポートTAK設立。個人事業主として活動を開始現在に至る。保健師・産業カウンセラー・労働衛生コンサルタントとして、中小事業場の健康管理体制構築支援、相談活動、介護認定審査会委員、NPO活動等を行っている。

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