保健師のビタミン

百花繚乱

第5話深山傍食(みやまかたばみ)

私事で恐縮ですが、次男が八月に挙式させていただく運びとなり、先日、挙式前の旅行に次男とお嫁さん(私の中では娘)と私の三人で横浜に行ってきました。

私は南紀白浜空港から息子たちは神戸空港から飛び立ち、羽田空港で待ち合わせました。既に「じゃあ羽田でね」というラインのやりとりとの時点から、「クウーッ! なんてカッコイイフレーズなの!」 と、何度も「じゃあ羽田でね」を使って旅行程のやりとりをしました。

羽田に到着すると、ゲートの外には幸せそうな二人が笑顔で私を待っていてくれました。もっとラフな服装で構わなかったのに、「母さんの仕事関係の方に会う可能性を考えて」と、ジャケットとワンピースの二人。それに引き換え、おばさん化現象の進んだ私は、なるべくゆったりとした楽な服とペッタンコの靴。とにかく楽なことばかりを優先したスタイルでした。

ある意味レアな三人旅は、羽田からスタートし、銀座で有名な超絶においしく美しいフルーツパフェをいただき、有名百貨店の本店に行き、何を見ても食べてもうれしくて、うれし過ぎて脳の血管が切れてしまうんじゃないかと思ったほどです。行く先々で息子夫婦に、お祝いの言葉をいただき、「結婚する」ということは、幸せなことなのだと、自分の結婚のときには感じなかった、温かく、丸く、ありがたい感情があふれました。

横浜は、どこか私の故郷の神戸に似ています。港・夜景・中華街など、ノスタルジーを刺激する街で、何度訪れても違和感がなく、都会の喧騒に酔わずに過ごせる場所です。うれし過ぎてテンションが上がりまくり、食べ過ぎて、たくさん歩き、夜は知り合いの方に運転していただき、夜景スポットをいくつも案内してもらいました。みなとみらいの夜景の美しさは心が洗われるようで、海風に吹かれながら、いつまでも見ていたいと思いました。一生忘れられない風景が、また一つ増えました。

滞在先のホテルの支配人のお心遣いで、横浜スタジアムが眼下に見える最上階からプロ野球のオープン戦を観戦させていただきました。翌日、いつも浅草から見て、高いし(値段が)、予約が面倒だし、待つのが嫌だし、という理由で写メだけ撮って、行くのを断念していたスカイツリーについに行きました。息子の「せっかくだから、最上階まで上がろうよ!」という提案で決意し、高所恐怖症と闘いながら、勢いで上ることにしたら、幸い待ち時間もなく、時刻も私のいちばん好きなトワイライトでした。一つ、また一つと大都会東京のビルや家々に灯りがともり、「この一つひとつの灯りの中に、人々の暮らしがあり、それぞれの人生があり、出会いがあり、別れがあるんだなあ」と、長い時間、街の灯りを見ていました。高所恐怖症など忘れ、本来の最大限に楽しむ性格が発揮されました。

日本の建物の一番高い場所から、眼下の夜景を眺めながら、私はこの親子旅で息子から宝物のような言葉をもらいました。

「俺は、父さんも母さんも仕事が忙しく、小学生のとき、友達の家に遊びに行くと友達のお母さんがジュースやお菓子を持ってきてくれるのが、すごくうらやましかった。『ただいま』と家に帰ってきても誰もいなくて寂しいと思ったことが何度もあった。中学生のころには、今自分が何であんなひどいことを母さんに言うたんやろうと(私は覚えていない)、ずっと胸が痛かったし、これからもそれは消えないと思う。でも、こうして旅に連れてきてもらって、母さんの知り合いの方にお祝いしていただけるのも、あのときの母さんの頑張りがあったから。その延長線上の現在を素直にありがたく思うし、母さんの子どもで良かった」と、まっすぐに私を見て、素直に言ってくれたのです。

仕事で何日も家を空けて、随分寂しい思いをさせたことへの申し訳なさは、今もなお持っています。働く母の一番のつらさは、子どもへの申し訳なさだと思います。でも、子どもは、時には寂しさに耐えながら、頑張っている母の背中をしっかり見て、強く優しくなるのです。迷わず自分の仕事に誇りを持ち、堂々とやり抜く姿を、子どもは応援しているのです。

最終日は、三人で同じ部屋に泊まり、私の足をマッサージしてくれようとした息子が、「母さん、何でこんなになるまで歩いたん! 血豆だらけやんか! 痛かったやろうに」と。確かに頑張って若い二人に合わせて歩きましたが、自分の足がそうなっているとは……。シャワーがしみたのはそういうことだったのか。運動不足やなあ。

翌日、羽田で解散して、それぞれの暮らしに戻りました。今回の親子旅で新しい人生を歩む二人の仲良さに学び、母としての喜びも十分に感じさせてもらいました。

この花華綴りが今、迷いながら働いているお母さんへのエールになればと心から願っています。

花華拝

※深山傍食の花言葉
 「母親の優しさ」「喜び」「決してあなたを捨てません」

※深山傍食は銀山で働く坑夫たちの寿命が長くて30年といわれるなかで、短命を心配した母が薬草として使ったという由来があります。

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著者
森岡花華
チャイルドケアコンサルタント。
旧姓・柴田花華。モンテッソーリ幼児教育指導者、医療心理科講師を経て民生委員、児童委員民連会、教育委員会、青少年育成委員会等で講演。
2003年から障害児の母親を心理的に支える「赤い口紅運動」を主宰、これまで約500人に口紅を贈呈。2014年、財団法人和歌山県福祉事業団より「赤い口紅運動」に対し表彰を受ける。夫が名張市の福慈会「夢眠クリニック」院長として単身赴任する中、白浜の別荘で愛猫リンと暮らす。紀南たばこ対策推進協議会評議員。

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