帰ってきた「閑話ケア」……ときどき「講演旅行記」
第23回 ウマの話 (通算 第152回)
トリ年から干支の事を書き始めてウマまで来た。10番目。
単純に、10年も書いてるんだなって思ったが、「閑話ケア」そのものは2011年から書いているんだから15年か。しかも通算152回目だ。我ながらビックリする。そんなに長く書いている自覚がないが、証拠は残っているので間違いないだろう。年数や回数が多いからと言って価値があるわけでもないが、よくもここまでウマくごまかして書いてきたものだとは思う。
というわけで、今年もよろしくお願いします。
さて、午年(うまどし)。「午」という字はある特定の使い方ならば、今も普通に使う。午前・午後だ。これはまさに干支の午の事だ。毎回説明しているように十二支は時刻や方角を表す時にも用いるが、午の刻というのが、つまり、昼の12時前後。「正午」という使い方を今もするが、江戸時代までは現代の12時が正午ではなく、基本的に太陽が真南に位置する時(南中)が、正午。そして、それより前が午前、後が午後というわけだ。今の使い方と基本的には同じですね。
方角では南を指す。子午線(しごせん)って聞いた事あるかな。北極と南極を結び赤道と直角に交差する線の事。「子」は干支では「ね」と読み、これは北を意味する。「午」は南だから、つまり「北南」線という意味になる。
馬は、飼ってみたかった動物のひとつだ。現代の一般家庭で飼っている事なんてまずないだろうが、それでも、欲しかったなぁ。馬に乗ってタカを腕に乗せてシェパード犬を従えて狩りに行く―みたいな光景を、何故か子どもの頃、空想していた。私が子どもの頃には「西部劇」という、アメリカの開拓時代を舞台としたテレビドラマが多数あって、その中で白馬にまたがるカウボーイがカッコ良かったからかな。

それに、シェパード犬が主人公のテレビドラマもあった。タカは? これだけは江戸時代の鷹狩りのイメージだが、そんな番組はやっていなかった。子どもが考える事はフシギである。
大人になってからも馬は飼いたかった。自分の子どもたちを連れてよく行く動物園があり、そこの飼育係とは顔見知りになったくらいだが、ある時、馬を見ながらつい「飼いたいなぁ」とつぶやいた。
そしたら飼育係が「飼えますよ」と簡単に。
ミニチュアホースという品種ならば、家庭でも飼えるというのだ。値段は軽自動車くらいだと。
確かに、大型犬くらいの大きさの品種もあり、それなら不可能ではないかもしれない。ただし、そんなサイズだから、乗れはしない。想像してみた。馬を連れて家の近所の河川敷を散歩する。向こうから来た人が声をかけてくる。「大きな犬ですねぇ…、え? 馬??」
やっぱりやめたと思った。馬は散歩させるんじゃなくて、やっぱり乗りたい。
それに、どっちかっていうと、小さいよりも大きい馬に憧れる。ペルシュロンという馬は、憧れの品種。大きいと体高が2メートルを超え体重は1トンだそうだ。気は優しくて力持ちの典型みたいな馬で、乗るというより馬車を引いてもらう感じの馬だが、これを飼うとなると、資金力も飼育環境的にも無理。馬を飼う願望はウマい具合には進まなかった。
馬は賢いか。いや、人間以外の知能について語る事はそもそもナンセンス。人間基準に当てはめる事そのものが無意味だからであって、その動物自身が生き抜くための能力を持っているからこそ、馬であれ虫であれ現代まで生き延びてきているわけだ。
じゃ、何で、賢いかと書いたかというと、その名もずばり、「クレバー・ハンス」と呼ばれていた有名な馬がいたからだ。クレバーは利口という意味だから、「賢馬ハンス」としばしば翻訳されている。
今から100年以上も前の話だが、ハンスは実に賢くて、計算問題が解けるのだった。
質問者が問題を出すと、蹄(ひづめ)で地面を蹴って答える。足し算引き算だけでなくもっと難しい問題でも解いたそうだ。
疑問を持った学者たちが調査や実験をして、当初は、本当にすごい馬だなぁっていう結論が導き出されたが、やっぱりそんなウマい話はないんじゃないかって疑った心理学者がカラクリを見破った。
簡単に言うと、ハンスは出題者をしっかりと観察していたのだ。
仮に答えが5だとする。ハンスが地面を蹴り始めると、1回2回3回…と蹴るうちに、正解に近づくと出題者の表情や素振りに変化が起きる。それを敏感に感じ取っていたのだ。だから、出題者が正解を知らない問題だと、ハンスもまともに答えられない。
馬は野生では群れ動物である。群れで行動する時に、小鳥の群れみたいにピーチクパーチク音声でのコミュニケーションを取るわけではなく、互いの動きを観察している。
観察の中で、あ、何か動きがあるぞ、とか、そういう事をつかんで自分も行動する。そういった意味では非常に感性という能力が高い動物と言えよう。
地面を蹴って正解を出すと褒められる。それを繰り返しているうちに有名になったわけだ。
で、こうやって実験をしたりする時に、実験者や観察者の期待に被験者(この場合はハンス)が反応しちゃう事を「クレバー・ハンス効果」と呼ぶ。
すごいけど。これ、馬だけに独特の事でもなく、一面では困った能力という側面がある。よく言われるのは警察犬の場合。
飼い主である訓練士の期待に応えようとして、誤判断をしちゃったら大変でしょう。犯人が落とした物だよって臭いをかがせて捜査―なんていう時にこんな事になったら冤罪事案になってしまう。
なかなかウマく行かないものですね。
最後に紹介しておきたいのは、「ガリヴァー旅行記」だ。小人の国「リリパット国」に行って捕まっちゃったりした、あの
実はね、本当は子ども向けなんかじゃない。船医から始まり、後にいくつもの船の船長になったガリヴァーが世界中の不思議な所を訪れ、その記録を書いたーというスタイルを取った強烈な社会風刺の物語なのである。
ジブリの作品に出てくる「ラピュタ」も、元はこの旅行記に登場する空を飛ぶ島の名前だ。さらにジパング、つまり日本にも訪れている。そして、最後の旅での最終訪問地は船員の裏切りによって置いてけぼりにされた「フウイヌム」の国だ。
フウイヌムとは、われわれ人間が「馬」と呼ぶものと同種の生き物。しかし、言葉を持ち、高い知性と理性があり、道具を使い、身分制度がある文明を持った馬達の国なのだ。フウイヌムとは、この国の言葉で「自然の完成物」という意味。この国に置き去りにされたガリヴァーは、そこで野蛮な生き物「ヤフー」に会う。汚く不快で醜いこの生き物の正体は「ヒト」と同種の生き物なのだ。
フウイヌムは真実を大切にし、平和な社会を営み、ウソとか疑うという概念さえ持っていない種族。
一方、ヤフーの方は知性のかけらもなく愚かで野蛮で下品な存在として描かれている。
ところで、ヤフーって、インターネットのあれでしょう。私は実はガリヴァー旅行記をかなり昔に読んでいたので、あれが出てきた時には「おや?」って思ったのだが、創立者たちはどうやら、このガリヴァーの「ヤフー」を意識してつけた名称らしい。
今回、これを書くために読み返してみたが、私の手元にあるのは1951年版の新潮文庫の「ガリヴァ旅行記(中野好夫訳)」だった。その51刷で1983年の本。今と違って文庫本の文字が小さいのにはビックリした。尚、本では「ガリヴァ」だが、本文ではなじみ深い「ガリヴァー」と書く事にした。
ガリヴァーは必死に彼等の言葉を覚え、求めに応じて自分たちの世界について説明する。が、説明すればするほど、人間の愚かさや醜さばかりが目立ち、ガリヴァー自身も自分は結局、嫌悪の対象である野蛮なヤフーと同族であるという思いを抱くようになり苦悩する。最終的にイギリス本国に帰還するが、ヤフー、つまり人間を嫌い、家族よりも厩舎の馬とフウイヌム語で話す事を好むようになってしまう。
何というか、本当に深く身につまされる物語であるが、是非、リリパット国以外の旅行記も読んでいただきたいと思う。
字数はウマったが、あまりウマい話にならなかったかな。皆さんから「つウマらないな」って言われちゃうかな。ウマれてこの方、ウマく行ったような事がほとんどなく、トラウマだらけだから、私もヤフー界から離れてフウイヌム界にウマれ変われるなら、それも良いけどな。そんなウマい話はないか。











