WEB連載

帰ってきた「閑話ケア」……ときどき「講演旅行記」

第7回 講演旅行記-愛知県幸田町2回分(通算 第136回)

10月に静岡市に伺い、その翌週に「地域保健」編集部で喋った話までが前回の旅行記。その12日後の11月10日に埼玉県所沢市、その1週間後の17日に埼玉県志木市でも喋った。この2件については地元という事で旅行記からは外させて頂くが、所沢と志木の間の11月13日には愛知県で日帰り講演があった。どうしてこういう過密スケジュールになるのか…。
愛知県からの依頼は、実は静岡や地元よりも早かった。
6月1日、お問い合わせフォームから、採用2年目というU保健師から次のような書き出しの依頼があった。
「現在、自殺対策業務を担当しております。今年、町民向けと高校生向けに「ゲートキーパー」の内容で講演会を考えております。遠方になりますが、藤本先生のお話をぜひ地域の方々に聞いてもらいたいと思っております。」
そして、この時点で高校での日程は11月13日と既に決まっているとの事。さらに同日の夕方に市民向けにも喋って欲しいと、ダブルヘッダーの打診だ。
愛知県は2014年に保健師長会から呼んで頂いて1度だけ伺って以来2回目だ。愛知は今尚、旧国名の尾張と三河との間に違いや確執がある土地とその時に伺ったが、今回のご依頼は旧三河の幸田町(こうたちょう)。家康の地元、岡崎市の隣町だ。もっとも、江戸時代までは幸田町も岡崎藩の一部。私は江戸時代好きなので、その礎を築いた家康公のお膝元を訪ねる機会を得たのは光栄な話だ。先の駿府城、幸田町、そして、今年の大河ドラマ…。不思議なご縁のシーズンになった。
その後、会場の都合などで、町民向けは2024年の1月に変更。そんなわけで、静岡県保健師長会と幸田町から、それぞれ秋と1月の2回ずつの依頼という、これまた珍しいパターンにもなった。


11月13日、日帰りで幸田町に向かう。幸田町の位置は東海道新幹線の駅で言うと豊橋と名古屋の間にある三河安城駅が一番近いはずだが、乗り継ぎの関係で、各駅停車型の「こだま」で豊橋から乗り継ぐか、「のぞみ」などで一度通り過ぎて名古屋から在来線で戻る形になる。
今回は往復とも贅沢にグリーン車を予約し、名古屋経由となった。

新幹線のグリーン車はゆったり感があって、高齢者にとってはホッとできる空間である。
名古屋から東海道本線快速で30分ほど南に戻り、「幸田(こうだ)」駅で降りる。

小さな駅。周囲に高い建物さえない。
ところで、皆さんはあまり関心がないかもしれないが、町の名前は「こうた」だが、駅名は「こうだ」と読む。
こういうのが私はどうしても気になってしまう。
調べると、まずは「幸田」の由来が出てきた。
もとは「広田」と書いて「こうだ」と読んでいた。東海道線が開通して駅ができる事になったのだが、「広田」と書く駅は福島に既にあって(読みは「ひろた」)、じゃ、字を変えようって事で、まず駅名を読み方は「こうだ」のまま「幸田」という字にしちゃった。そして、後に村の名前まで「幸田」にしたのだそうだ。なんか、すごい理由。
そして、半世紀近くが過ぎ、周囲との町村合併の時に、心機一転するためか、読みを「こうた」に改めたんだそうだが、駅名だけは昔の「こうだ」のままになっているという事だ。
お迎えのUさんの案内で駅からすぐの「みんなの幸田駅前銀座」の中の「とうふや豆蔵」という豆腐料理のお店に入る。
新潟県出身のUさんは採用2年目ではあるが、実は前歴がある。もちろん犯罪の前歴ではなく、出身地に近い新潟県南魚沼市で数年間保健師をしていたそうだ。その後結婚し、ご主人の仕事で海外転勤を含めて各地を転々、今はご主人の出身地である岡崎在住となり、現在に至る。私の娘たちと同世代で3人の子供のママだ。南魚沼時代から、「閑話ケア」をお読みだったらしい。
おっと、豆腐料理屋の話だった。左下に豆腐料理屋の看板が見える。

ここで、食事の前に休刊前最後の「地域保健」令和5年3月号にサインを求められる。

Uさんの撮影だが、私が休刊前最終刊の表紙に落書きをしている証拠写真を撮られたようで、何だか気まずい。サインなんてガラじゃないしせっかくの雑誌を私の字で汚すなんて、そんな失礼な事はないと思うのだが、ご要望なのでお応えした。Uさんはカワリモノである―と思ったが、実は、後の掛川で、またもサインを求められた(@_@;)
カワリモノはUさんだけではなかった。
なお、この後、私自身が写っている趣味の悪い写真は、すべてUさんの撮影である。私を被写体としている時点で趣味が悪いとしか言いようがないではないか。
さて、豆腐のランチを頂いたが、

これだけでも結構食べ応えがある上に、

こんなコーナーもあった。
幸田到着が12時過ぎ。講演開始が15:20なので、食事の後、「道の駅 筆柿の里 幸田」にお連れ頂く。運転がちょっと…。そういえば鹿児島市の時の保健師さんの運転も「あの~、良かったらかわりましょうか」って言いたくなったのを思い出した…。

その名が示す通り筆柿が有名で、時期がずれていたため生の柿には会えなかったが、こんな商品があった。

なかなか上品な味わい。
入り口には謎ののぼり。


消防カレー?

Uさんが土産に買ってくれた。
何でも消防署員と料理研究家がコラボして、地元の豚と筆柿ジャムを使用したものだそうだが、なぜ消防署員が?? 彼らは署で賄いをしたりするからかな。カレーはとても美味しかった。


短い観光を終えて、町の保健センターにご挨拶に立ち寄る。

右手の方には町役場があって、

Uさんの所属は役場の福祉課との事。福祉課の上司の方々も保健センターにお見えになりご挨拶。
そして、講演会場の県立幸田高校に向かうが、高校については写真撮影の許可をもらわなかったので、文章だけでご紹介。女子高生を写してる、みたいに思われるのも嫌なので、最初から許可を取らなかった次第(;^_^A
自殺対策というかそういった授業の一環で、50分、全校生徒と教員を前に体育館で喋るというのが本日のお仕事。町からの依頼だが「幸田町基幹相談支援センター」から講演料などが支給されるらしく、Uさんなど、町役場の数名の方と、Sさんなど支援センターの方々も同道。学校の先生や校長にご挨拶の後、体育館に案内される。
そこに540人ほどの生徒たちがぞろぞろと入場。みんないわゆる体育座りをしている前で話すわけだ。
珍しい光景に、何だか可笑しくなってくる。
高校で喋るのは2回目。岩手県立岩泉高校で7年前に全校生徒150名を前に喋った経験しかない。
今回はその約4倍も居るわけで、緊張するだろうなって思うでしょ。
それが、むしろ全くないのだ。『第5回 講演旅行記-静岡県静岡市・「地域保健」編集部』で、人数が少ない方がはるかにやりにくいと書いたが、本当にその通りで、500人以上となると誰がどんな顔して聴いているかなんて全部は確認できない。数名はよく目が合う人がいるから、広い体育館の中に目が合いそうな人をあちこちに探しながら喋る事になるが、全部で何人いようが、そんな事はどうでも良くなる。
数万人の前でもきっと同じなんだろうな。
テーマは「ストレスとの上手なつきあい方~より良い人間関係を築くために~」。50分しかないのでいつものような質疑応答は省略して一方的にお話しさせて頂いたが、皆さんとてもよく聴いてくれていた。先生方もいらしたし、あまり笑いを取りにはいかなかったが、後に送って頂いたアンケートの中に「過去1番、講演の中でおもろかった。」とか、「とてもおもしろかった。これから、このことを生かして、楽しく生活していきたい。」などと書いてくれていた生徒さんがいて、嬉しかった。
終了後、今度はUさんより運転が上手な上司のIさんの運転で岡崎駅までお送り頂いて、帰路に。


それから2か月ちょっと過ぎた2024年1月21日の日曜日。あいにくの雨の中、再び幸田町に向かう。
今度は豊橋乗り換えで幸田駅に向かう。時間の関係で、新幹線車内で軽く昼食。
駅には今度はUさんがマイカーでお出迎え。最初に正月に帰省した時の新潟土産を沢山頂く。帰省したからといって、到着早々駅で、だ。何だかオチャメなUさんである。
マイカーだから前よりは上手な運転で、会場の幸田町民会館に向かう。

幸田町民会館。なかなか立派な建物。
周辺はこんな感じののどかな田園地域である。

テーマは「こころの健康講話~あなたは大丈夫? 自分の心と身体に耳を傾けましょう~」という事で、まあいつものように、何となく無事に終わった。後で頂いたアンケートでは、かなり好評だったが、まあ、私のアドリブ質疑応答などのやり方が珍しいからであろう。

私がちゃんと仕事をしている証拠写真である。この証拠写真だけはUさんの趣味も悪くない。いつも「講演旅行」とか言って、実は旅行だけしているんじゃないかと疑っている人に対して、これで説明がつく。
日曜の13時半~15時という時間帯。町民の方の参加が予想以上に多かったらしい。Uさんたちの集客努力のおかげである。
保健師相手だったら本誌のおかげで多少知られてはいるが、一般的には無名の私の講演で一般住民を集めるのは並大抵の事ではないであろう。今回も、顔写真入りポスターが用意されていたが、そんなモンで人が集まるわけもなく…。過去の他の地域の場合も含め、皆さま、本当にご苦労さま(^.^)(-.-)(__)
終わりの時間が早いため、懇親会ではなく茶話会が開かれ、参加者の方々数名といろいろお喋り。こういうのは初めてだ。その場でも、講演スタイルが新鮮だったと言って頂いた。
茶話会に参加していた新人のO保健師は、前回の高校の講演の時にも同道。お母様も近隣自治体の保健師をされていて、私の事をご存じとの事。親子2代保健師だという方には時々お会いするが、2世代に渡って知られているなんて、何だか不思議。かなりのジジイだって事か(;^_^A
宿泊は隣の岡崎市。幸田にはあまり宿泊施設が無く、更に、翌日、岡崎観光を企てていたために、Uさんに送ってもらってホテルにチェックインしてから、駅近くの居酒屋で、Uさんと、講演の司会をして下さった基幹相談支援センターのMさんと3人でこぢんまりとした懇親会。地元育ちのMさんのトークが面白かった。


翌日。仕事を休んでUさんが観光案内をしてくれた。
本当は幸田町観光をするべきなのだが、行ってみたかった資料館がお休みだったり。というわけで、この周辺の観光名所である岡崎市の何カ所かに立ち寄る事にした。しかし、運転手兼案内役のUさんは、元々が新潟人…。
当然、詳しくはない。私が事前に行きたい場所を調べておいて、コースも大まかに決めていたが、前夜に地元民Mさんに話したところ、合格と言って頂いたので、そのコースで岡崎観光開始。
まず、向かってもらったのは滝山寺(たきさんじ)。寺の手前に立派な三門という楼門があるが、残念ながら、車を止められそうな場所も無さそうでそのまま通り過ぎる。
駐車場から距離的には短いのだが、それでも息切れするような坂道を登った所に寺の本堂がある。

Uさんとしては、イタズラ心からか、どうやら盗み撮りをしていたつもりらしいが、そんなの気づくに決まってる。が、とりあえず放置。
何でも、奈良時代に始まる歴史があるらしく、源頼朝とも関係のあった寺で重要文化財なのだが、私が本当に訪ねたかったのは、隣接する敷地にある滝山東照宮(たきさんとうしょうぐう)。三代将軍家光の命で造られた東照宮だが、残念ながら、現在修復中のため、姿は見る事が出来なかった。

一角にある家康が建てたとされる日吉山王社にもお参りして、次の目的地へ。
次に向かったのは大樹寺(だいじゅじ)。「厭離穢土、欣求浄土(おんりえど、ごんぐじょうど)」という言葉で有名なお寺だ。元々松平家の菩提寺で、家康の先祖が創建した寺。大河ドラマでは序盤に大事な舞台として登場していた。

で、これらを撮影している老人の後ろ姿┓(´―`)┏

桶狭間の合戦でこの寺に逃げ込んだ家康が、先祖の墓の前で自害しようとしたら、時の住職に上の言葉を諭されたんだとか。
「けがれた国土なんてイヤだよ、仏さまがいる優しい世界を望んでるよ」
といったような意味の仏教用語だが、その意味を例えに、当時の乱世を穏やかにするのが家康、おぬしの役目ぞよ―といった風に、説教されたらしい。
この、大樹寺の前には大樹寺小学校があって、大樹寺を背に小学校の正門から中を覗くと古い門が見える。今は小学校の南門らしいが、もともとは大樹寺の総門で、岡崎城までの直線約3キロが見通せるようになっている。

この日も、何とか天守閣が見えた。
本堂。

この後、有料の拝観もあって、見事な襖絵(ふすまえ)や、代々の将軍が亡くなった時の背の高さと同じ高さの位牌が並ぶ宝物殿なども見学。もちろん、撮影は禁止。


続いて岡崎城に向かう。

天守の中に入る前に敷地内の龍城神社に参拝。これも家康を祭っているので東照宮の一つに数えられるそうだ。

う~ん、やっぱり悪趣味だ…。
再建された天守はよくあるパターンで、内部は岡崎城の模型や出土品などの展示があり、博物館のようになっている。

面白かったのは、版画の多色刷りの体験。

こういうのを重ねて刷っていくと…。

最近各地の独自性があるマンホールが注目されてはいるが、まさか、それになるとは思ってもみなかった。
この後、この地の名物の工場見学や食事ができる「八丁味噌の郷」に。色の濃い味噌煮込みうどんを頂くが、色の割にはあっさりした感じで、美味。写真の掲載については私の説明が良くなかったせいか断られてしまった。残念。
更に、工場見学は、時間が合わずに断念。古典的な八丁味噌を土産に買う。
味噌そのものを味わうと、ああ、発酵食品だなって思う。しょうもない感想だが、古典的な保存食としての発酵食品そのもの。現代風の味噌とは一線を画した感じ。発酵食品好きの私としては歓迎するが、苦手な人もいるかもしれない。
道の駅藤川宿に寄ってもらって土産を買い、名鉄線本宿(もとじゅく)駅までお送り頂いた。Uさんには道の駅で「オカザえもん」という怪しげなゆるキャラを買うように強く勧められた。岡崎市のキャラらしく、顔が「岡」の文字になっていて、白い体に「崎」と書いてある。いわゆる「キモカワ」系か。
遠慮しておいた。やっぱりUさんは普段から悪趣味なのかもしれない。
豊橋に出て、新幹線で帰路へ。


今までも似たような事を書いてきたが、こうやってお呼び頂く事が無かったら、おそらく幸田町に来る事なんて無かった。江戸時代好きとはいえ、岡崎だって、多分、自ら計画を立てて出向く先としてはなかなか候補にならなかった事だろう。
「閑話ケア」をご縁に、沢山の人、沢山の土地との出会いが生まれるなんて、当初全く想定していなかったが、本当に私の人生そのものを皆さんに拡げてもらっているようなもので、心から感謝している。
Uさん、皆さん、ありがとうございました(^.^)(-.-)(__)

著者
藤本裕明(ふじもと・ひろあき)
分類学上は霊長目ヒト科の♂。立場上は一応、心理カウンセラーに属する。自分の所の他、埼玉県川越市の岸病院・さいたま市の小原クリニックなどで40年以上の臨床経験があるが、年数だけで蓄積はおそらく無い。
幸田町の講演と、次に書く予定の静岡県掛川市の講演が2週続けての日月になったため、この時、16連勤になった。もっとも、岡崎観光の日は遊んでいただけだけど。変化があれば、まだ無理がきくようだ。
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