保健師を語る

「保健師は、人が人生のカーテンを開ける瞬間に立ち会える」
西田小百合さん

2019年1月、西田小百合さんは突如「心原性脳塞栓症」を発症し、失語症と右片麻痺を患うようになった。
そのとき、西田さんは51歳。
さまざまな部署で経験を積み、まさにベテラン保健師として活躍しているさなかだった。
しかし、落ち込む心を奮い立たせ、リハビリに励み、ついに職場への復帰を果たす。
「どうしても保健師の仕事に戻りたかった」という西田さんの思いを伺った。

2023-09-21

実習で出会った保健師さんの姿に憧れ保健学科に進学

川西市で保健師として働く西田小百合さんは「パワフル」「アクティブ」といった言葉がふさわしい。しかし、子どもの頃は意外にも学校の通知表に「優しいけれど、消極的」といつも書かれていたそうだ。

そんな西田さんが保健師に目指すようになったのは、看護学校の実習で保健師の新生児訪問に同行したのがきっかけだったという。

「指導してくれた保健師さんの仕事ぶりに憧れて保健学科に進学しました。全寮制の学校で、朝6時に起床チャイムが鳴ると、掃除、洗濯、先輩のパンを焼いて牛乳をセット、ナイチンゲール誓詞を唱えて、実習記録を書くなど、慌ただしい毎日を過ごしていました。いまから思えば、まるで自衛隊の官舎のような環境でした。そうなると、消極的になっている場合ではなくなりましたね(笑)」

町役場から市役所に転職し多くの経験を積む

西田さんは1992年に保健師の資格を取得した。保健師学校の教官に就職先として「島で働いてみたい」と相談したところ、「島ではないけれど町役場で募集があるので行ってみては」と勧められたそうだ。それが、兵庫県中部に位置した今田町役場(現在は丹波篠山市)だった。

「初めてこの町役場に赴任すると、駐車場に軽トラックがたくさん置いてあり、思わず『今日は軽トラックの販売会をやっているのですか?』と聞いてしまいました。実はそれらの軽トラックは職員の通勤車。教えてもらいびっくりしたことを覚えています。今田町はとても自然豊かなのどかな環境で、職場で最初にとった電話は、し尿汲み取りの予約でした」

最初に勤務した町役場では、地区担当保健師として西田さんは町の人口の半分を受け持ち、いっぺんに母子、成人、高齢者などの仕事を一通り経験したという。

そして、1998年には現在の勤務先である川西市役所に転職。ここでは、まずは保健センターに勤務した後、介護保険課、地域包括支援センターなどで、キャリアを積んでいった。

突然障害者になりつらい日々を送る

ところが、いまから4年前の2019年、西田さんは思いも寄らない障害を持つようになる。心原性脳塞栓症により、失語症と右片麻痺を患うようになったのだ。

「忙しく働いていたのに、病気のために休職せざるを得なくなり、生活が一変しました。いきなり体が動かなくなり、言葉も発することができなくなってしまったのです。入院中、昼間は理学療法士さんが来てくれてリハビリに時間を費やしましたが、夜になると『一生苦難することになるのかな』と思い、涙する毎日を送っていました」

「もう、死のうと思ったんですよね」
西田さんはインタビューで当時の気持ちをそう教えてくれた。死ぬために歩く練習をしていると、しだいに歩けるようになってきた。すると、だんだんと欲が出てきて、「次は不自由な手も何とか動くようにしたい」と、リハビリにも熱が入るようになり、気持ちの落ち込みも徐々に回復してきたという。

そして、発病してから3か月後、西田さんは医師や家族とともに、職場で上司と面談することになった。

「その日、上司から事務分掌と机の配置表をもらいました。仕事が無事に引き継げたことに半ば安心しましたが、自分の名前が一切入っていないことも分かり、ショックを受けたことを覚えています」

だが、そんな中うれしいこともあった。面談を終えて帰ろうとしたとき、後輩の保健師が追いかけてきて、「西田さん、絶対に復帰してくださいね!」と声を掛けてくれたのだ。

復帰を視野に入れリハビリに励む

後輩保健師の言葉に背中を押され、それからは「復帰」を視野に入れて、リハビリに励むようになった西田さん。「まずは日常生活に復帰し、次は社会生活に復帰したい」と理学療法士に伝えたところ、リハビリメニューも復職に向けたものにどんどん変わっていったという。

「失語症になって当初いちばん困ったことは、スマホの操作ができなかったこと。まず、文字が入力できない。ひらがなが認識できず、とくに難しかったです。SNSやメールも送ることができなくて、同僚と連絡がとれないことがもどかしかったです。でも、リハビリが進むにつれ、時間はかかるもののスマホで文字入力ができるようになりました。仕事の関係者とも連絡ができるようになったのです」

自らメールで臨床心理士にカウンセリングを頼んだり、SNSやオンラインミーティングにもチャレンジしたりした。そのころの西田さんは「保健師西田の、すごい調整力はまだ生きている!」と、自分で自分を褒めて俯瞰して見ていたと振り返った。

慣らし勤務に当たり自分のトリセツを提出

こうして少しずつ「できること」を体得していった西田さん、2022年4月から慣らし勤務をするまでに回復した。

慣らし勤務において西田さんが掲げた目標は次の4つ。

① 家から職場まで徒歩で通勤できる
② 週5日の業務を遂行できる身体や脳の耐久性をつける
③ 自己管理(セルフケア)ができる
④ 課員みんなとコミュニケーションをとる

そして、職場に対しては、自ら作成した「私のトリセツ(取り扱い説明書)」を提出した。


画像は西田さんが音声入力機能を使って文章を作成、仕上げたトリセツだ。そこには西田さんの「身体の状況」「会話能力」「筆記能力」などについて、正直に細かく記してある。

例えば、西田さんにとって、歩くこととしゃべることを同時にこなすのは難易度が高いことで、歩きながらしゃべることができないとトリセツに書いてある。「しゃべりながら歩いて、もし私が派手にゴミ箱を蹴ったらすみません」とも書いているが、これはやんわりと、「じゃまなところにゴミ箱があったら片付けておいてくれるといいな」という希望も実は含まれている。

トリセツについて説明してもらったときの西田さんの印象的な言葉に、「配慮と遠慮は違う」というフレーズがあったが、「相手に気を使わせないように、でも相手にしっかり伝える」という長年しみついた保健師としての心遣いや技術がトリセツにもにじみ出ているようだ。

どうしても保健師に復帰したかったワケ

ところで、西田さんがどうしても保健師に戻りたかったワケとは何だったのだろうか。

「ひとつには、同僚、失語症の友達、支援者、親友、家族などに、頑張る自分の姿を見て欲しかったということがあります。また、保健師としての使命感というか、たくさんのやりたいこと、やらないといけないこと、やり残したことがあったからです。いままでの経験、そして失語症になった自分の今後の経験を生かして、まだまだ社会貢献ができると思いました。保健師の仕事が好きなんです」

西田さんが保健師の仕事にこうまで感じている魅力を知りたくて、どんなときに最も保健師になって良かったと感じたか尋ねると「人が人生のカーテンを開ける瞬間に立ち会えたとき」と答えてくれた。

「私は保健師なので、どこにいても視点は常に市民に向けています。そんな中で、自分が関わることでその人がその人自身の強みに気づき、何かをし始める瞬間に立ち会えることがあります。このときが私にとってはいちばん保健師としての血が騒ぐときなのです」

現在の仕事と保健師の皆さんに伝えたいコト

現在、西田さんが携わっている主な仕事の内容は「ケアマネジャーのケアプラン点検・研修の企画」「業務マニュアル作成」「国民健康保険組合連合会データの点検と照会」「職員業務の相談・助言」などだ。

西田さんは保健師として職場復帰を果たしたことに留まらず、自分が障害を持ったことにより新たに始めたプライベートな活動もあるという。西田さんが失語症になってから、自分が暮らす地域で患者会を探したが見つからなかったことから、2023年の1月には自ら「川西失語の会うなづき」を発足させ、月一回会合を開いている。また、ほかの失語症当事者団体が主催のカラオケコンテストにも出場するなど、地域を越えたつながりづくりにも積極的だ。さらには、川西市の若年性認知症の方と何か楽しいことをするために、作戦会議をやろうと考えているのだそうだ。

西田さんのこの活動へのエネルギーはどこから湧いてくるのだろうか。

「私は失語症になったけど転んでもただでは起きないというか、物事を前向きに捉えて、使える機会があったら何でも活用します。それが、ひいては住民の生活のためになると信じているからです」

西田さんが地域や住民の生活に力を注ぎ、エンパワメントされた住民が自らの力でしっかりと人生のカーテンを開け、それがまた西田さんの力に還元されているのかもしれない。そんな西田さんに、読者に伝えたいことはと尋ねると、次の3つを挙げてくれた。

  1. 何でも当たり前にできる生活を失ったからこそ気づくことの連続です。配慮と遠慮は違います。
  2. 失語症は推計約50万人いるということを知ってほしいです。そして、失語症のことを正しく理解してほしいです。
  3. 人の暮らしに寄りそう保健師は、個別支援から地域づくり、職域づくりにまでつなげることができる仕事です。誇りと自信を持って、しなやかに、自分らしく、そしてしたたかに活動してください。

「楽しく仕事をしてもらいたいです。保健師は楽しいと思う、保健師は厳しさを知る、そのことが専門性を高めるんじゃないかなと思います。私もいま、それをしています。継続中です」

[文:白井美樹/写真:豊田哲也]

◎インタビュー収録の様子を動画でもご覧ください

西田さんのインタビューは、2023年6月10日(土)オンライン(Zoom)で収録を行いました。収録した内容の一部を動画にまとめました。西田さんの「保健師を語る」をぜひご覧ください。

また、6月10日の収録では、西田さんのインタビューに続き、「私のトリセツ」を職場で配っているという中野区の保健師・稲吉久乃さんにも加わっていただき対談も収録しました。こちらもぜひご覧ください。

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