保健師を語る

「しくじりがあるから、いまがある」
本干尾八州子さん

本干尾八州子(もとほしお・やすこ)さんは、津山市の保健師のリーダー格。6年前にインタビューしたときは、風格のある静かな自信に満ちた方という印象を受けました。そんな本干尾さんの若いころは……

2016-12-12

仕事の意味が見えない……

保健師という仕事。私の成長の原動力、誇り、また、自信喪失させる魔物だったりもする、面白くて、苦しくてやりがいのある仕事。いまはこう感じるこの仕事も、就職して半年の私は、「あ~、つまらない。毎日同じことの繰り返し」と感じていました。地域も人も事業も、何一つ見えてなかった残念な私がいたのです。

なぜ? 毎日やっている仕事の意味が見えてなかったから。私がやりたい仕事とどうつながっているかが分かっていなかったから。周りからどう見られているかが不安だったから。

就職1年目でこけそうになったダメ保健師が、よくここまで続いたものだと思います。ダメ保健師をやる気にさせてくれたのは、ある障害児(親子)との出会いでした。

新米保健師の提案を受け入れてくれた

私には、学生時代、在宅障害児の外出・レクリエーション支援のボランティアをした経験があり、保健師になったら、障害のあるお子さんの支援がしたいと思っていました。そこに出会ったのが、愛育委員さんが開いてくれる育児相談に来てくれた女の子でした。1歳になろうとするのに、やっとハイハイが始まったばかりで、つかまり立ちもせず、母親に抱かれてニコニコする笑顔はかわいいけれど、喃語ばかり。歩かないわが子をやや心配顔で見守る母に、どう切り出そうかと思いつつ、「お母さん、発達が少しゆっくりしてますね。相談に行ってみますか?」と誘いをかけてみました。

子どもの発達を支えたい、母の不安を和らげたいとの思いでさまざまな提案をする新米保健師の私を、お母さんは素直に受け入れてくれました。「母を指導し、リードしなければ!」という思いばかりが先行していましたが、いま思えば、私の中の不安に突き動かされていたのかもしれません。親子の力を信じることもできない未熟な私を育ててくれた最初のお母さんだったと思います。

ただ「寄り添う」ことの重要性

その後、多くのお母さんたちと出会う中で、障害児保育を専門にする園か、地域の保育園かの選択、園で他の保護者に障害をカミングアウトするかどうかなど、選択に困ったとき、答えを出せない私に返ってきた「一緒に考えてくれるだけでいい」という言葉は衝撃でした。“保健師として何もしてないのに、一緒に考えるだけでいいの?”――その当時の無学な私は、自己決定を支えることが、もっとも重要な支援であることに気付いていなかったのです。

お母さんたちに寄り添っていたつもりの私は、良かれと思って自分の価値観を押し付ける重石のような存在だったかもしれません。寄り添う存在として、受け入れてくださった保護者の皆さんには感謝しかありません。

地域の人々とともに

地域で暮らす人々と出会うことが、何より保健師活動の原動力となったと感じています。この力につき動かされて、私たちはことばの相談や幼児教室を事業化し、20年以上の長きにわたり、母子保健事業を時代に合わせて改善してきました。

また、作業療法士を採用したり、児童虐待に向き合うための課を新設したり、活動を通して見えてきた新しいニーズに応える人材確保や仕組みを作ってきました。日々の活動なくしてはできないこと、これが保健師の仕事!と私は思うのです。そして、職場内が同じ目標に向かっているとの一体感を持ち、進んでいくことが私たちの力をより発揮できる土台で、現在の私の立場で取り組むべき仕事として意識もしています。

しくじりは誰にでもあります。そこから学んだことをどう生かせるか、それはあなた次第です。

(津山市こども保健部次長兼健康増進課療育センター長)

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