保健師を語る

「人の力が結集すれば無限大の力に」
平石紀子さん

宇都宮市の平石さんは母子保健奨励賞も受賞したベテラン保健師。意外にも新人時代には母子保健のことで思い悩んだとか。そんな平石さんが37年間の保健師人生を振り返り、後輩たちへのエールをつづりました。

2017-08-16

思い悩んだ新人時代

「自分は保健師に向いているのか?」と、悩んでいる人はいませんか? 私は保健師になって3年間、転職ばかり考えていた。子どもが大好きで、母子保健事業を思いっきりできる市町村を就職先に選んだはずなのに、その母子保健事業に悩み振り回された。
お母さんから、「せっかく相談に来たのに、こんな若い保健師では頼りない」と思われたくないと必死だったのか。「自分は保健師」というプライドに縛られて何か指導しなくてはという焦りからなのか。当時の私は、子どもの発育や発達、子育てで改善すべき点はなど、マイナス部分を探して一生懸命“指導”しようとしていた。ところが、徐々にお母さんの顔が暗くなる。周りの先輩保健師と話す母親は、笑ったり時々うれし涙を流したり楽しそうなのに……。いったい私との違いはなんだろう?
先輩保健師を見て気がついた。話をしているのはほとんどお母さん。先輩はお母さんの話を笑顔でうなずきながら聴いている。そして子育ての良いところを誉めながら、必要なことを指導している……。
この気づきをきっかけに、私の視点を「いいとこ探し」に転換した。すると、相談する母親の表情に変化が出ただけでなく私の気持ちにも余裕が生まれた。保健師は保健指導を業務とする。だが、上から目線の「指導」をするわけではない。子育てを応援するために、母親が感じる育児の大変さを理解し共感する姿勢が大切なのだと思う。子育ての経験がないことは大きな問題ではないのだ。
壁にぶつかったら、「保健師だから」と肩肘張らず、まずは相手の表情をよくみてきちんと傾聴し、相槌をしながら応え、「お母さんの話、きちんと聞いてますよ」という安心感を持ってもらうことから始めてください。きっと昨日と違った自分が見えると思う。

得意分野をつくる

宇都宮市の保健師数は2017(平成29)年4月現在、84人。私が入職した1982(昭和57)年は21人だった。今のように分散配置ではなく、みんなが一つの部署で勤務する体制だったので身近にたくさんのロールモデルがあった。
私は「30年後に、自分はどんな保健師になっていたいか」とキャリアプランを考えた。そして、「21人の中に埋もれないよう誰にも負けない得意分野をつくろう」と思った。私にとっては、それが母子保健分野であり、業務でいえば健康教育だった。
健康教育では、住民は時間を作って私の話を聞きに来てくれる。働いている人であれば、時給800円として2時間は1,600円、ほぼ映画代と同額だ。果たして自分はその額に値する健康教育を提供できているだろうか? そう考えて、積極的にシナリオ改善に努め、研修に参加するなど自己研鑽を積み、住民満足度の高い健康教育を目指した。
おかげで「これだけは自信がある」という分野ができた。仲間からも認めてもらえると仕事が面白くなり、不思議とほかの仕事にも自信をもてるようになった。今後ますます自治体の財政状況が厳しくなる中、このような企業経営感覚を意識した事業運営は技量向上につながるとともに、これかららの行政保健師に求められる大切な素養だと思う。

住民の力を知る

忘れられない思い出がある。地区担当保健師として「がん征圧プロジェクト事業」のプロジェクトチームに参画し、住民と共にがん予防啓発事業を企画し実践していたときのこと。定員200人の講演会を3日後に控え、参加申込者はわずか20人程度だった。最終打合せのときにそのことを告げると、住民の方たちから、「平石さん、心配いらないよ。私たちが声かけっから」との言葉をいただいた。半信半疑だったが、当日は200人を超える参加者で会場は人で溢れていた。役員さんにお礼を言うと、「何言ってんの。専門的なことは平石さんたちに任せるけど、地区の人に勉強してもらいたいんだから人集めは私らの役目だんべなあ」と。地域住民の方の底力を知った瞬間だった。あのときの役員さんの照れくさそうな笑顔は今も脳裡に焼きついている。
ソーシャルキャピタルを活用した、住民と協働する地域づくりの推進が言われて久しいが、住民との関係づくりには、足繁く地区に出向き、住民とたちと世間話も含めて積極的に話し、相手を知り自分を知ってもらうことだと思う。まずは、地域に出ましょう!

事務の経験は貴重な財産となる

第1次健康うつのみや21(健康増進計画)の策定主務者だったときのこと。それまで大きな庁内会議に出席したこともないので、当然行政的なお作法も理解していなかった。関係課を走り回り、コンサル業務委託を進める手順書や同様な計画書を策定した主務者に何回も聞きに行ったり、資料を丸ごと借りてその通りに進めたり……。策定体制の構築、庁内策定会議や付属機関である審議会の開催、関係団体からの意見聴取等、何一つ経験がない中で、無我夢中で取り組んだ。
毎日深夜11~12時まで残り、土・日はどちらか必ず出勤し、暗い部屋の中で一人ぽつんと仕事をする。あるときはガードマンさんから「本庁最後の退庁者です」と言われて外に出た瞬間、街灯が真っ暗になり何も見えなくなった。涙があふれて止まらなかった。「なんで私だけが……」という思いでいっぱいだったんだと思う。
今になって思えば行政職としてとても良い経験をし、その後の役所人生には大きなプラスになった。その経験で学んだことが二つある。
一つは事務職だから何でもできるのではなく経験を積み上げているからできる、という当たり前の気づきである。協議資料一つ作るにしても、政策分野にいる職員は簡単に作成するが、経験のない事務職はできない。だから保健師には行政的な判断力や行政運営能力を若いうちから積み上げてほしいと思う。私は自己研鑽として人事課が主催する自治大学校の℮-ラ-ニングを受講したりもしたが、関係法律を理解するなど苦手な部分を克服して、地域課題を行政施策に反映できる行政的手腕を身につけてほしいと思う。
二つ目は世の中捨てたもんじゃないということ。私が分からないことを尋ねた職員は誰一人嫌な顔をせず、時間を割いて一からいろいろなことを教えてくれた。私の悲壮感と「初めての経験なので」という言葉に同情してくれた節もあったが、素直に相手の懐に飛び込めば必ず何とかなるものですよ! 勇気を出して聞いてみましょう!

36年間で得たもの

この原稿を書きながら、36年間の保健師人生の中で関わった多くの人の顔が走馬灯のように浮かんでくる。保健師になって得たものは、人との温かいつながりである。仲間はもちろん、地域・関係団体・関係機関の方々、ケースの家族や関係者……など。どんなに能力が高くても一人では仕事はできない。1+1+1≠3=∞(無限大)である。ぜひ、あなたも人の力が結集したときの無限大の力を仕事の中で感じてほしい。
                 (宇都宮市保健福祉部保健所健康増進課保健センター所長)

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