保健師を語る

「出会いと学びを大切に」
長谷部裕子さん

600人の村の一人保健師から、市町村合併で7万人の市の保健師となった長谷部さん。環境が激変するなかでも、保健師としての立ち位置を見失わなかった理由とは。

2017-06-15

松下先生との出会い

私は1988(昭和63)年に山梨県芦安(あしやす)村役場に就職しました。芦安村は人口600人余りの小さな村で保健師は私1人だけでした。当時は老人保健法による事業をこなすことに追われていました。数年経過する中でぼんやりと「保健師の活動ってこれでいいのだろうか」と思うときもありました。
そんなときに手にしたのが『公衆衛生における保健婦の役割』という1冊の本でした。当時、都留文科大学講師の松下拡(ひろむ)先生が著者のお一人として執筆されていました。その本は事業の進め方ではなく、「血圧とは」「健診結果をどう読みとる」「乳幼児健診は何のためにやっているのか」など、とても新鮮な切り口の内容で、読んで衝撃を受けたことを覚えています。

仲間たちとの出会い

芦安村では99(平成11)年に保健師を1人増員していただき、2人体制で活動をするようになりました。そんなある日のこと、偶然、都留市の天野保健師と出会い、そのご縁から松下先生にお会いすることができました。そして松下先生が講師を退任されるのをきっかけに天野保健師と相談し、「山梨県内で自主学習会を立ち上げよう」という話になりました。県内の保健師の有志を募り、当時山梨大学看護学科の山岸先生、山崎先生にもご協力いただき準備会を重ね、02(平成14)年に松下先生をお招きして「母子保健を考える」というテーマで学習会を開催することができたのです。
その翌年には私たち芦安村の保健師2人は、市町村合併により南アルプス市の保健師となりました。

学習会から学んだこと

学習会を始めて今年で16年目を迎えますが、現在も年2回の開催ペースを維持しています。数年前からは松下先生にご助言をいただき、自分たちで運営するようになりました。
私が学習会から学んだことは大きく3つあると思っています。1つ目は「本音で語り合う」ことです。第1回目の学習会で先生から「山梨の保健師さんは話し合いが下手だね」と言われました。格好良くまとめない、分からないことを「分からない」と言える雰囲気づくりが大事ということを学びました。2つ目は「体をイメージすること」です。行政の中の看護職として体の視点は忘れてはならず、単に健診で異常かどうか判定するのではなく、保健師が「心臓とは」「血管とは」と分かりやすく伝え、体の中で起きていることを住民がイメージできることが大事であると学びました。3つ目は「情勢をとらえる」です。特に自治体で活動する保健師にとって国の施策は自分たちの業務に大きく影響します。事業に振り回されるのではなく、国はどこを目指し、施策が自分たちの地域にどのように影響するのかなど、基本を押さえることが重要だと学びました。

語り合い、学び合う

私たちが学習会を始めたのは、ちょうど平成の大合併の波が押し寄せる時期でしたが、学習会を持つことで方向を見失うこともなかったように思います。2025年を控え、これからますます保健師を取り巻く環境は大きく変わってきます。どこにいても保健師活動について語り合い、学び合える職場や仲間がいることで、自分たちの立ち位置を見失わないのではないかと思います。多職種の方々と手をつなぐためにも地域の中でこれから保健師職能として何を大事に活動していくのか、その答えは自分たちで語り合い、情勢をとらえながら、学びあい、見つけるしかないと思っています。

                     (南アルプス市保健福祉部健康増進課健康企画担当)

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