保健師を語る

「憲法25条を礎として」
山本昌江さん

長年にわたり埼玉県所沢市の保健師を務めた山本昌江さん。「公衆衛生看護活動の原点に立ち返りたい」との思いが募り、2013年に長野県阿智村に保健師として再就職、住民に近い活動を展開しています。

2016-05-23

地域の課題をキャッチして

私の仕事は常に目の前の人から始まる。健診で精密検査となっていた一人の介護者が過労死した。介護者が先に逝ってしまう現実をなくしたいという思いから、「在宅介護者の会」を立ち上げた。
さらに、脳卒中で片マヒになった50代の男性が、自分を知らない旅先では散歩ができても、元気な自分を知っている近所では散歩ができないと言っていた。同じ仲間と出会うこと、地域の人たちが彼の思いを知ること、そういう場をつくろうと「地域リハビリ交流会」は始まった。
また、公園にブルーテントが増えていく中で、路上で亡くなった人がいた。家がなくても大事な住民が、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利が奪われていることを黙ってみているわけにはいかない。「ホームレスの巡回訪問」はそういう必然から始まった。

憲法25条

30年近く前、県が主催した新人保健師研修会で、一人の県職員が語った言葉は、今でも私の仕事の基本になっている。
「私たち公務員は日本国憲法の実現を目指し、その中でも保健師は、憲法25条を基本に据えなければならない。民主主義国家における多数決の原則は大事ではあるが、ときに少数の意見が尊重されず、不幸な結果を招く場合もある。住民のいのちとくらしに寄り添う保健師は、そういう少数の人々の声なき声の代弁者とならねばならない。25条の『すべての国民』、さらに15条の『全体の奉仕者』とはそういうことである」と。

担当者の小さな疑問から

阿智村でのある事例を紹介する。
国保担当がレセプトを点検していたところ、必要な受診をしていない滞納のある人を見つけ出し、保健師に訪問の要請があった。訪問すると、トイレも風呂もない家に一人で何も食べず横たわっていた。すぐに生活保護を申請し医療に結び付け、支援が始まった。国保、生保、地域包括、住宅、税務、保健師がチームを組んでそれぞれの役割を果たしていった。その結果2年後には、病気も回復し、滞納もすべて完済して、生活保護から抜け出し、自立した生活が送れるまでに回復した。
小さな村だからできる連携かもしれないが、レセプトの点検から「おやっ?」と思った職員が、すぐに保健師につないでくれる、こういう信頼が私は何よりうれしい。レセプトは、住民一人一人の命を守るために使われてこそ価値があるものだ。私たち自治体に働く保健師は、今どこに向かおうとしているのだろう。

(阿智村役場保健師)

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